街道をゆく


この歳になり勉強不足…特に郷土の歴史を知らないことを残念に思う。維新をおこした地に住みながらである。
数年まえから古川先生の長州にかかわる本を読み出した。昭和42年、司馬遼太郎が「街道をゆく」の取材に山口県にきたとき、維新を解きほぐすには長州人気質を知らねばすすまない。と語っている。
奇兵隊を財で支えた下関の豪商白石正一郎。破産するまで財を出し、その記録(日記)からも財をつかった記述は晩年(赤間神宮宮司)に削除。それは子孫がつかった財産を請求しないため。
民謡といえば「男なら」馬関砲台建設には、民衆が奉仕。目の不自由な人は労働のリズムをとる太鼓を打った。
松陰先生についても詳細な取材がされている。薩摩ではいまでも錦江湾の遠泳を子供たちがやり、萩では明倫小学校で松陰先生教育があり、長府ではなぎなたを女子学生が稽古する。関ケ原からの毛利が維新につながる。
あすは午後からセミナーパークで毛利博物館館長「山県有朋」を聴講できる。知らないことを知る楽しみが、この歳になってわかりはじめた。金曜日の光市までの配達をすませて缶ビール。