山縣有朋を聴講して


韓国全羅南道木浦(もっぽ)に長尾千鶴子(四国のかた)が、木浦共生園という孤児院をつくり朝鮮戦争の孤児を大勢お世話をされた。我が子3人にも「お母さんは、みんなのお母さんですから」と諭して孤児と同じように育てられた。映画タイトルは「木浦共生園」だったか?30年まえの記憶。
山縣有朋を90分、毛利博物館館長が解説され本気で聴いた。しかし白石正一郎のような私財すべてを公に捧げる志は感じなかった。戦死者の山をきずいた「戦陣訓」をつくり、財の限りで山縣三名園をつくった。
84歳で莫大な地位で死去。国葬は1万人の会葬ができる用意をして、実際の会葬は千人。いっぽう木浦の長尾千鶴子さんの告別には木浦市民だけで3万人。
長州の勉強にしてはがっかりした。聴講されたかたはざっと百名。わたしが一番若いようだった。