ふく鍋隊報告 黄栄作


◆会津 国権酒造の細井社長から達筆の葉書届く…「一日で世の中が変わる事ってあるのですね。負けずに頑張ります。」この短い言葉にこめられたお気持ちしっかり拝受。長州から会津に応援できて嬉しい。葉書は家宝にする。足立◆

◆一番長い日第一部◆
岩手県一ノ関の朝ははやかった。昨夜の打ち上げではボランティアがこんなに呑んでえーんかい(宴会)。被災地で活動する歯科医も加わりラストオーダーの最後まで盛り上がった。とわいえ十時半には就寝、気持ちよく目覚めたのは夜明け前の四時だった。しっかりイビキをかいたのだろう、ペットボトルの水をいっきに飲み干した。
ホテルフロントで携帯の充電器を借りて昨夜やり残した足立さんからいただいた宿題を送信したのが五時頃で、カーテン越しの晴天に気を奪われて散歩に出掛けた。窓の開かないホテルでは気づかなかった強風にあおられて、風に向かって前のめりの姿勢で一ノ関駅まであるいた。駅前の交差点、歩道は地下道だが入り口はふさがれていた。入れないからわからないけれど、この辺りも震災の傷跡が残されていた。
七時出発の予定の前に朝食。開店は6時45分、後れをとるまいと半に行ったらすでにシモバン中島さんがいらして挨拶を交わし二人でスタートした。しばらくして背中に御大のモーニングコール!大きな声が朝食会場のスタッフも違いを感じていた…ような気がした。
八時半待ち合わせの気仙沼駅を目指し時間通りにホテルを出た。貨物トラックの運転をまかされた私はホタテ松原を助手席に一路気仙沼へ…会話は昨夜の宴会の反省会。御大得意の個人発言大会!席順の関係から私からスタートした。四人目に指名の香井棟梁、長い熱弁に御大曰く『きゅ~け~』座が盛り上がったのはゆうまでもない、わたしとホタテも思い出して運転中腹を抱えた(^o^)しかし、路面のあちらこちらが陥没して気を許すことのできない運転を強いられた。
時間通りに気仙沼駅に着くと『下関ふく鍋隊歓迎』のプラカード!それは見事なお出迎いを受けて同々した。2日目の会場はK-wave、気仙沼のを代表する立派な体育館である。炊き出しは自衛隊が主役。着いたらすでに昼食の準備中で、隊員たちは清潔なまな板と使い捨て手袋でキュウリのスライスを八人で切っていた。吹かしたじゃがいも、茹でたマカロニ、千切りして水洗いして苦味を落とした玉ねぎを丁寧にこねて副食のポテトサラダを作っていた。
主役はもちろんふく鍋、隊員にお湯を分けてもらい四つの鍋に火を入れた。出汁をとりふとネギを放り込んだのが十時前、御大の号令『わかんにゃーネギの味は出ん、掃除じゃ~』一同ハイ喜んで、前もって決められたわけでもないのにちゃんちゃんと三班に別れて実践。ネギがしんなりした頃に全員集合できた。
十一時半昼食開始、館内放送と同時に列をつくる方々に『美味しいよ~』『暖まるよ~』『下関から来たよ~』などと明るく声をかけながらお配りさせていただいた。

◆東北徒然◆

たいして歴史に詳しくはないけれど、今回の東日本支援の旅は私の大好きな幕末・戦国時代の史跡巡りに思えた!
滋賀の彦根は井伊大老・長浜の明智光秀・越前福井の松平春嶽・越後新潟は上杉謙信・会津若松は松平公守など、標識の地名と活躍した人物がすらすら浮かんでくる道すがらでした。

初日の薄暗くなった福井から石川県を抜けて富山・新潟に入った頃ふと気付いたのが、平坦でまっすぐな道!運転の岡本さんに聞けば『なんと面白くない道じゃね~』200キロ近い道程がまっすぐな平坦な道、高速の右側の北アルプスの北側は漆黒の暗闇で、左側の日本海側は街の灯に…スーパーマーケット・パチンコ・スーパー銭湯などのネオンが、ゴールデンウィークを控えめに過ごす人々の車で埋めつくされていた。

11時をまわりネオンの明かりが消え始めると、街灯に映るのは水田。どこまでも続くのか水田!穀倉地帯と言われる由縁を目の当たりにした!零時に初日の移動が終わる、桜の満開を終えて、雪解けの芳醇な水を蓄えた水田に、今年の豊作を祈った。

さて、被災者が700人が共同生活を強いられるあづさ総合公園体育館に、九時前に到着したメンバーは二つに別れて鍋とトイレ掃除に分担!掃除班は雇用促進に雇われた皆さまの掃除が行き届いてることを確認したので早々に切り上げて炊き出しに加わる。炊き出しが始まりすぐに感じたことは被災された皆さまに笑顔がないこと…それは想像を超えた現実をだった。

たった30分で完売して、何かの余韻にしたるまもなく総出の後片付け。
あすの炊き出し、気仙沼に向かう。
下関出身で東京で暮らす、御大の知り合い五名の若者が東京から駆けつけ合同のふく鍋支援、今夜の打ち上げも同席となり賑やかだった!一日を振り返ると皆さんの行動がすべて機敏で予定のスケジュールより30分は早くアクションしてしまうために、11時30分開始予定の炊き出しになんと一時間前には万端でお陰さまで被災した方々とお話をするチャンスができた。

今一番何が欲しいか?の問いに『酒とタバコ』ある漁師の一言だった。家も船も諦めたけれど生の本音に聞こえた。共同で生活する場は禁酒である。建物の外に制限はないらしいが、我慢しているとのことでした。この先はどうなる?の問いに『先は見えない、いつまでもここで暮らすしかないだろう』還暦を少し過ぎたおじさんの声はダウンした、それでも遠くを見据えた眼に悔しさがにじんでいた。

ふく鍋隊は午後三時過ぎに岩手県気仙沼に到着、メーターは見忘れましたが2000キロを少し下回る位だと思います。全員無事。見守ってくださる皆さまに感謝申し上げます。
おあとがよろしいようで…

追伸
車中で御大の一言
『行くときより帰りははやいど~』なんども経験した方の確かな名言と唸る!!0502.jpg