黄栄作ふく鍋奉仕レポート


◆3200キロ走り11人の男たちがお昼に下関にもどった。ご奉仕ありがとうございます。足立◆

K-waveの炊き出し800食は三週間前の情報か?今の実数はずいぶん減っているようだ。連休を違う場所で過す方、日中は出掛けて夜だけ戻る方などで条件は変わる。
当初の予定通り計算して炊き出した料理は約四分の一を余らせてしまうことになった。自衛隊炊き出しも同じく大量に余らせていた。不満はないがもったいない、まずは100人分以上をを自衛隊の皆さまに差し上げて、炊き出しの吹きさらしで被災者の目の届かない場所で余ったご飯とふく鍋で長州の11人の侍と江戸の五人組が腹を満たした。捨てた食材は一切ない。
一時半片付け積み込みを終えて、現地で寿司屋を営む村上さんに気仙沼の被災地を案内していただいた。現場を目の当たりにしたときの動揺はどれ程かと出発前から気を揉んでいたわたくしでしたが、テレビで毎日報道された映像があるために心がおれてしまうことはなかった。漁港から内陸に500メートル位か、大型漁船がオブジェの様に鎮座していた姿にはさすがに驚かされて思わず携帯のシャッターを切った。
村上さんの案内があったので報道ではあまり知らされていない情報、耳を疑いたくなるほどリアルな話をたくさん聞いた。なかでも息を飲んだのが、消防や自衛隊が死体を発見した場所にピンク・ブルー・グリーンに色分けしたリボンを細い棒に結び付けて刺してある。目を凝らすと瓦礫のなかに無数にある。津波が押し寄せた最終地点の場所でわずか30メートル四方の民家の庭先に15本を数えた。流されて放置された車のほとんどにもリボンがある。村上さんは地獄絵と言い残された。
二時半、江戸五人組と村上さんに別れを告げ帰路に着く、往復3200キロを五月三日十時に下関南風泊着を目指した。

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