女子挺身隊


岡本拓也さんのお母さんから、終戦のころ全国の女子学生が挺身隊という学徒動員をさせられた冊子をいただいた。お母さんも東京で軍事工場に動員された。わたしの母は当時27歳と思うが、宇部市内の軍事工場に挺身隊として働き、班長が高山さん(高山君の父)だった。
美祢の「よしの」のお母さんは「東京のミッション系女学校で、鳩山さんの母が先輩になる」本を持参したら学校名と作業はモールス信号器の組み立てと正確に書かれていた。
3月10日の東京空襲数日前に美祢で葬儀があり帰省。あのまま東京だったら命はわからなかった。運命の歯車をお話から考えた。
オスプレー配備にわたしは反対ではない。しかし、仮に事故があったとしても、それは平和へのコストであると評論家?がテレビで発言した。コストを訳せば費用になる。
3百万人以上の日本は犠牲をはらい今の平和がある。それをもコストと言うのか。
命の重さと向き合わねばならない8月。