見えて見えざるもの


メトロポリタン美術館を歌舞伎役者 中村獅童が訪れ、フェルメールの作品、特に3点について観賞した。彼はその作品3点は同じ部屋という部分をいくつか見いだし、額と舞台で「見せる」という点と共通している理由を話した。見るべき人が見れば、時代は移っても作者の心に寄り添えると感じた。
昔、当時「浜勝」の社長だった元岡さんと島原半島をドライブしたことがある。千々石(ちぢわ)町には、高い山に先人たちが積み上げた棚田がある。その田んぼを見上げて涙をおとされた。この環境のなかで、山に石を積み上げてしか生きてこられたご苦労に感動された。
歳を重ねると老眼はすすみ、体力は年々衰え、夢を描くこともなくなり後ろ向きの生活になりそうだが。歳を重ねたからこそ、これまで見えなかったものを見る楽しみもあると感じた。
浪花の店主が、器の魚はどこの海でとれ、その潮の速さをさりげなく添えられたこともある。
生活のなかで、いろいろ発見ができる歳にいよいよなってきた。