神戸の日


陸軍を南方戦線で消耗させたのは石原莞爾ではなく、辻参謀長だと吉野さんから講釈を受けた。
神戸震災の19日から兵庫区浜山小学校避難所に、4月末の解散まで逗留してお手伝いをした。水、食料、電気がない生活を体験しながら、さまざまな場面で人間の強さと弱さを知った。唐戸魚市場の松村御大(当時は専務)や、いま大船渡で体力勝負で稼いでいる宮崎弁の牧くん。三田市の香山くんは家業の化粧品店と掛け持ちで手伝ってくれた。たくさん仲間ができた。わたしにとってあの濃縮された数ヶ月はたしかに背骨になった。
大谷山荘に午後3時到着。雪で立ち往生の車もあった。美祢から雪道の峠越えで戻った。