生きる背骨

昨夜の新婚(昨年3月挙式)夫婦を精一杯で祝福する祝いの膳を用意した。
いまは帰化されたが、在日韓国人として結婚のハードルはあっただろう。以前、農園を訪ねては結婚願望が肴になった。ご縁は聞かなかったが「同胞」の気だてのよいあかるい奥さまとゴールできた。結婚式の写真も見せてくれた。民族衣装の正装はなかなかお似合い。
「で、子供は?」と聞いた「7月にうまれました。けれど低酸素で脳に障害があり、酸素器具をつけ医大です。意識もありません」
お祝い気分がブッ飛んで酔いがさめた。
母乳は奥さまが通い、看護婦が与える。それでも体重は平均的に成長している。いろいろ制度を利用しても毎月多額の医療費を支払う。
若い夫婦をなぐさめる言葉がなかった。

今朝、彼から「とてもよい時間でした。また行きます」とメールがあった。若い夫婦が、この出来事を受けても元気な気持ちを出せる「おかげ」がいただけるよう。私の祈りにくわえよう。

牧君が体調不良で療養中と正月のメールで知った。遠慮はいらないから私のところで療養しないかと誘ったが返信はなかった。
17日「来年、神戸の20年。現地で元気に再会しましょう」と出したメールにも返信がなかった。
過酷なマグロ船でも働いた屈強な彼から返信がないから心配していた。さきほど「きょうから職場復帰しました。来年の神戸を楽しみにしています」
短い着信にふかい安堵をした。

生きておるあいだ、たくさんの試練のなかで生きる背骨が強くなる。