女傑がまたおった!


小郡「ランプの宿」の存在は知っていた。その中心人物「畑山静江さん」は、わたしが自宅を改造して会議録会社を創業した当時に在宅業務として録音テープを文字にしてくださった方で、最近「宇部日報」紙上で「里山日記」という随筆を連載しておられ読んでいた。暴風雨の夕方、その「ランプの宿」に行く用事ができた。
2キロの看板から険しい山道になり、車一台が走れる道は川になっていた。藁葺きの廃屋が崩れ、壊れた窓からカーテンが風にあおられている肝ダメし風の光景を過ぎて人家があった。人家といっても灯りがあったので、なければ廃屋である。青年ふうの男が「もう少し先にある」と雨具で風雨にうたれているわたしの教えてくれた。その先から道は泥道になり四駆に切り替えた。しばらく走り目的地に着いた。
30年ぶりの再会で畑山さんは還暦という。その生き方は、わたしのなかで消化して言葉にするまでには時間がかかる。それほどの感動があった。一言であらわすならばユースホステルまがいではあるが、ようもこんな山奥に大勢の人が泊まり、癒されているものだとおおきな興味もわいた。
配達中にラジオで聴いた党首討論では総理の弱腰だけが印象的だった。