1月17日をむかえる

愛車の車検が終わり、次の車検を表示するシールが貼られた。
「平成29年1月17日」
ながめて、この期日から二つ考えさせられた。
来週は阪神淡路大震災から20年の17日を迎える。直後から約4ヶ月滞在した兵庫区浜山小学校避難所。すぐ近くに全壊した金光教岬教会。このご縁のなかで失望・悲しみ・怒り・喜びなど凝縮された時間を過ごした。火も水も電気もない暗雲の毎日だった。
その仲間、牧君(宮崎)と香山君(兵庫)と金光教岬教会で来週20年慰霊の祭典で再会の約束ができた。
漠然と神戸行きは意味がない。わたしの神戸の意味を問い続けた。その答えが見えてきた。
神戸に奉仕に行ったころ参っていた金光教に疑問があった。信心を学ぶ場であるはずの教会。そこには信徒会(他にもたくさん会がある)があり、信者は組織に組み入れられる。年間たくさんの教会行事に出席することになる。それは信奉者同士の親睦をはかると教えられた。
さらに教会を維持するためにさまざまな財のご用といわれる献納が強制ではないがある。
まだ他にもあるが、信仰するにはいろいろ手続きが見えて、それが気持ちの壁だった。私と神様。シンプルでありたいと感じていた。
神戸で泣いたり笑ったり怒ったりした。下関ふく鍋隊の松村社長ともご縁ができた。
神戸が終わり鍵山先生とご縁がうまれた。
その新天地にわたしは向かった。つまり約20年、金光教とは距離をおいた。けれども長女の照美さんは、金光教教師に嫁ぎ太秦教会でご用をしている。
子供に信心の種をまいた親が挫折している。ここを20年の神戸であらためて向き合うことにした。16日、太秦教会初参拝をさせていただく。ここから一歩がはじまる。
車検切れになる2年後の1月17日。
この日までに農園を離れて次の展開をしたい。次といっても引き算の人生だから華々しくはならないが、納得できるレールを求めたい。それが正志が飛躍できることになると信じて。
木曜日を元気に終えた。ニュースはマクドナルド。良いものが、安く、大量につくれるわけがない。