木曜日を元気におわり

きのう水曜日は吉部八幡さまの朝参り。
金光教は戦後、神社神道から独立した。終戦まで国家の神道に名を連ねていないと認められなかったのかもわかならい。詳しいことは知らない。
20年ぐらい前までは、金光教の儀式も神道の作法が踏襲されており、私も神前に大祓詞や天津祝詞を祭主(教会長)先唱にあわせて唱えていた。長文の大祓詞もほぼ丸暗記しているが、同じような詞のヵ所があり、その部分で間違えたら延々と終わらないエンドレス。その笑える体験もある。
水曜日は、短い天津祝詞を朝参りで無難に唱える。藤野先生のおかげで、大祓詞や天津祝詞の内容は古事記であることが最近わかった。
天津祝詞を唱えて神様に向かう心が整い、わたしの1週間ぶんの御礼を申し上げる。
母の1週間、命の御礼を申し上げ続けて母は今日までの命をいただいてきた。その実感はある。
愛犬「はなちゃん」21日が3年の命日。墓に線香を供えたあと、祖霊殿の神様になられた西君に「はなちゃんを頼みます」と手を合わせた。西君のことだから大丈夫の実感。

木曜日の下関。風邪引きのお客さまが多かった。
老夫婦(松村御大ご近所)のばあちゃんが、健康体操で足を骨折してなんとか治った。2日前、じいちゃんが朝の起床で「痛い!」と悲鳴をあげた。救急搬送した結果は、骨盤の圧迫骨折で入院になった。自宅は坂道。ばあちゃんは病院に通うためタクシーの料金が生活費に加算される。きょうの卵代を払う財布がどこにあるのかわからない気持ちは混乱。
加奈ちゃんは元気いっぱい。自宅でパン教室。若い奥さまたちが生徒さん。若さはまぶしく感じる。
完売御礼の札「よしの」でいろいろ談義。イスラム国人質の日本人は、スキー場の越えてはいけないエリアで遭難した人と同じ。というわたしの気持ちに「よしの談義」が長引いた。