佐伯桜の由来

月曜日は岡本拓也さんのお宅からはじまる。拓也さん、下関トヨタの店長時代にお掃除の会にご縁をいただかれ現在も掃除人。
拓也さんに感化され、佐伯工場長も掃除に参加され、たしかわたしと同い年でもあり仲良くした。がんで入院された。
今朝、拓也さんに「ご命日は、5月のいつでしたかね」と聞いた「9年前の5月7日でした」拓也さんは毎年仏壇献花に通われている。
亡くなられる少し前「なにがしたいかね」と病室で佐伯さんに尋ねたら「島原(長崎県)の寺にある墓に参りたい」と言われた。病院との交渉は佐伯夫妻がやり、わたしは仕事の調整をして島原日帰りを決行。
ルートは有明海をフェリーで往復した。涅槃像のある寺の墓地にゆかりの方の墓がある。佐伯さんは、そうとう長いお経を声をあげて唱えられた。一度きいたぐらいでは理解できない複雑な生い立ちがあり、奥さまも結婚のとき主人の履歴が記された謄本をみて驚いたと言われた。
幼少時代、この寺にあずけられ修行された。住職にかわり法事に何度か出向いたこともある。寺への布施と小坊主への駄賃をわざと間違えたふりをして、法事の帰り道で豪華な食事をした笑い話も聞いた。思い出深い旅だった。
一周忌の前、奥さまと長男が農園に生前のお礼に来られた「役立ててください」と封筒を置いて帰られた。その全額に少し足して桜の苗木を20本買った。農園そばの川土手にユンボで穴を掘り「佐伯桜」植樹の日を決めた。数名集まった仲間に佐伯さん長男もいた「母から頼まれた」と遺品の時計などを持参した。それも桜の根元に埋めた。
今年も川土手を桜が飾った。遺品のひとつ「表札」は埋めないでわたしの部屋にある。赤間神宮で挙式をされたとき宮司が書かれた佐伯義広の達筆。
今朝は岡本家での立ち話で佐伯さんを偲べた。
いつもは玄関に発泡スチロールの箱があり、なかに卵を届けるから雨など心配のないお宅に発泡スチロールがなかった。空は曇りだったので降雨予報を調べたら午後9時から降りはじめ。ならば安心と玄関に置いたのは1時。2時半ごろからワイパーを使う雨になった。もしも濡れたらがっかりされるだろうと思い引き返し、おおきなビニールで包んだ。