言葉のむつかしさ


田植えのおわった風景を眺めながら下松行き。昨年、雨のなかで田で仕事をしていた女性のそばを傘をさしてタマゴを届けているとき「たいへんですね」と声をかけて通ったら、腰のばしてわたしに目をくれて「たいへんではありませんよ」と言って仕事を続けられた。ねぎらいの言葉だったわたしは不愉快な気持ちになった。毎週その田をとおるたびに場面を思い起こす。
自分に立場を置き換えてみた。例えば、寒さで凍結の朝、鶏舎などの水道パイプが破裂したときに「たいへんですね」と声をかけられたら「たいへんなコトになりました」と余分な作業が増えた忙しさで答えると思うが、毎朝のせわしい採卵のとき同じ言葉をかけられたら「毎日のコトですからね」と言うかもしれない。つまり不愉快に感じたわたしのほうが言葉選びが悪かったように思えてきた「よう降りますね」ぐらいの言葉なら返事もちがったのではなかろうか。
同じ意味あいで励ます気持ちで言葉にする「頑張って」もそうかもしれない。