母がまわす私の舞台

人生の回り舞台は、1日や数ヶ月単位では測れない。そのぐらいジリジリとまわる、毎日の積み重ねが大舞台をまわす。
母と神さまに毎朝夕手をあわせる習慣が身についた。今朝、母と心の会話をしているとき気がついた。
20年ほど前に金光教の参拝をやめた。教会という組織とお供えということに我慢できない壁に当たったことが理由。
母は7年ほど前、農園に来てわが身の葬儀一式を決めた。その中心は「太秦の先生(長女の夫)に葬儀は頼んでくれ」
遺言に従い、金光教の神式で葬儀はお仕えされ、母は霊神さまとして私がお祀りしている。
つまり、毎朝夕に金光さまを拝み、母を拝むことになった。
わたしが20数年前に手がけた出版「神さまに噛みついた話」に再会。
来月は全国金光教信徒会長をされた、ハラダヤの原田社長からご自宅にお招きをいただいている。信心話になろう。
母は、わたしに迷わず歩めと「信心の道」に霊ながら導いてくれていることを実感した。俳句も「やってみなさい」といざなってくれた。
母が舞台をまわしてくれている確かな実感。母がありがたくて胸があつくなった。

秋晴れが続き、農園の井戸は水位が下がり、ポンプで川の水を汲み上げて、井戸まわりに散水しながらしのいできた。

秋雨が 井戸のピンチを安堵させ

万歩計11000歩