菊美ばあちゃん

朝6時。気温5度。くもり。最高気温13度。

採卵をしながら餌の食べ残しが気になる鶏舎を回る。7時前、Fさんにバトンタッチし、Iさんに給餌の指示をメモして小野田市内へ配達へ出かけた。

3日前、「母が亡くなったのでタマゴを止めて下さい」と息子さんから電話があった。

母とは、東京理科大学近く、学生アパートの大家さんの「菊美ばあちゃん」のことである。

開園して間もない頃からタマゴをお届けして来たので15年以上のお付き合いになると思う。

当時、厚南のバイキングレストランに定休日の水曜日以外の毎日、30キロのタマゴを大口注文をいただいていて、農園の仕事を終え、このレストランを経由して帰宅するのが日課だった。

船木、小野田市内から常連のお客さまが増えて来たので、このレストランの定休日にあたる水曜日に小野田市内への配達をはじめた。

不慣れな鶏とタマゴと向き合う仕事で、少し歯車が狂うと配達へ出かけることが出来ず、いつも夕方のラッシュ時間と重なり、車の波を掻き分けるように運転した。

車内には小野田市内のお客さまにお届けするタマゴに加え、夕方、宅急便で発送するタマゴも積んでいる。

宅急便の集荷時間は18時。集荷のトラックが通過してしまうと東新川の営業所までタマゴを持ち込む手間が増える。そんなことも度々。

子どもを3人預ける保育園もお迎えが18時過ぎると、自動的に「延長保育料」が発生するので、タマゴが先か、子どもが先かと夕方の配達は心も体もいっぱい、いっぱいだった。

こんな私とは対照的に、菊美ばあちゃんは、いつも大家の仕事を淡々とされていた。

アパートのまわりを竹ほうきで掃除したり、学生が出したゴミを分別したり、家賃を持って来た学生にお茶を出し、玄関先で彼らの話を聴きながら笑顔で頷く姿も度々拝見した。

タマゴの代金は「○月○日タマゴ代」と書いた封筒を返却するパックに、輪ゴムで縦横にしっかり縛るのがお付き合いを始めたころからの、菊美ばあちゃんの習慣だった。

3日前に電話を頂いた息子さんから「3月29日タマゴ代」と書いた封筒と空きパックがテーブルにあったが、未払いは無いかと問われたので、今まで長くお付き合いさせていただいた、その習慣をお話しさせていただき、長年のお礼とお悔やみをお伝えした。

今日は午前中5時間かけて、約90軒ほどの小野田市内の配達。菊美ばあちゃんのことを思い出しながら淡々と運転した。

あだちまさし。