巣ごもり

ツバメが巣ごもりをはじめたのは先月末。
例年、東南アジアで越冬したツバメが飛来し、農園の軒先に巣をかける。
つがいになるカップルを探しながら、巣をかける場所を物色する時期に盛んに飛び回り、爽やかな春の訪れを感じる。と、ともに作業場の中を飛び回るツバメの副産物に気をつかう季節でもある。

今年のツバメは、例年と違い昨年の巣に一直線に入った。短時間でリフォームを済ませ、めずらしく私たちの手をわずらわすことなく、行儀良く巣ごもりを始めたのだ。ツバメなりに世間の重苦しい空気を察したのかもしれないと自分勝手に想像した。

「密」を避けよ、と感染拡大防止を報道されるようになり、ウイルス流行当初から閑散としていた夜の街だったが、二週間前ぐらいから明かりと人がほとんど消えた。タマゴの得意先でも張り紙をして連休明けまで休業される店が増え、キャンセル分のタマゴを需要がある販売店やお客さまに納品のお願いをさせていただく時間を多く割くようになった。

いままで経験のない緊急事態に気苦労が絶えない日々が続く。日頃からお世話になっている飲食店の経営者さまや、顔見知りの従業員の方々の出口が見えない心痛を思うと、いつもと変わらぬ新緑が光る「疎」の風景も、どんよりと重く曇って見えたりするのである。

昨年から手元に置いて読み返している機関紙の中に、祖母がコツコツと投句した足跡が残っている。俳句の良し悪しなど全く分からないが、いまの季節や風景と重なる句を見つけると、陽だまりで目を伏せて七五七の指を折る祖母の姿がふと目に浮ぶ。私にとっては、口やかましく厳しい、どちらかというと四角いイメージだった祖母が、亡くなって五年経ち、だんだんと丸い思い出に変わってきたように感じている。

「子燕の餌待視線空にあり」
巣ごもりするツバメを眺めながら祖母に言問うすべはなくなったが、二十年前に詠んだ句と同様に、今年も農園にやさしい風景が訪れることを心待ちしている。

辛抱の日々が一日でも早く終息し、街に潤いと活気がもどってくることを切に願う。

2020.04.25 あだちまさし