知っているからやっているに


15年ぐらいまえに屋久島に行った。樹齢7千年ともいわれる縄文杉にあいたいのは2番目で、目的は金光教の青年教師が家族とこの地に開拓布教にでたということを知りその教会を参拝したかった。経済的にもご苦労されているようすは、干してあった布団でわかった。
先生が一日中座って祈られる座は、先生の足の形で畳が汗で腐っていた。食事に誘いわたしの旅館で飲んだ。12時ごろ「明日のご祈念がありますから帰ります」と終わった。先生はここから4時間歩けば着きますからと頭を下げられた。対向車が一台もいなかった道を飲酒運転で先生を乗せて走った。
志に真っ直ぐ生きている人に胸をうたれた。それはたしかであるが、わたしはそれを「知っている」でいままで生きており「やっている」にもう舵を切らなければならない歳でもある。
牧君から「秋田で働いています。ミサイルが落ちなくてよかった」とメール。秋田弁と宮崎弁では生活が不自由だろう。