懐かしい友から嬉しい言葉


30代半ば金光教本部がある岡山県金光町に「金光出版」という出版会社をつくった。毎週金曜から日曜は倉敷のホテル暮らしでここの仕事をした。
渡辺という本部在籍青年教師と仲良くなり、彼の案内で倉敷の旧軍需工場跡地(亀島山)と地域で生きる在日韓国・朝鮮人の人たちとも交流した。ポプラという松田聖子似の看板娘が働く焼肉屋でホルモン食いながら人権や歴史を語った。ナザレ園訪問にも彼は参加してくれた。いまは羽曳野の実家(教会)にもどり、釜崎で炊き出し奉仕活動しながら貧困と向き合っている。
その彼からメールが届いた「しんどい時にはメールで届けてください。祈ることしかできませんから祈ります」と。このメールは保護設定した。
沖縄で失業者対策もふくめて遺骨収集に予算をつけてくれと厚生大臣に願いをたてた団体がある。大臣も具体的にプランを示せと返答したらしい。何度も沖縄遺骨収集奉仕に参加したわたしには「それはまちがい」。この収骨奉仕を効率や経済で動かすのではなく、平和を考える実践としての活動にしてこそ意味がある。参加するために気持ちを毎月積みたてて通ったわたしはそう思う。