言葉や文字より心じゃね


4時すぎに起きて、木曜を走りはじめる10時ごろまで空気が乾燥しているので、朝露がある時間に焼却炉に点火・川に据えた汲み上げポンプの始動・自家野菜への散水・3頭の犬の運動・ひとまわり1時間の採卵を2回。まだまだたくさん動いて運転約200キロ。それがつらいかと聞かれたらそうではない。
夕方、河村代議士の日記「親ゆびのひとりごと」を受信した。弁護する気はないけれど今回は、ある会場での挨拶で主催者が用意したうどんを「食う」と先生の発言を聞いた方から「食べる」と言ってほしかったとお叱りメールがあった顛末が内容だった。先生らしい誠実なお詫びのメールも紹介されていた。
実はきょう看板に「障がい者」という文字があり「害」と表記しないところを考えていた。一番肝要なところは「食う」でもそうであるけれど、文字や言葉でつくろうより心の部分であると思う。もちろん表現方法がどうでもよいということではないが、それよりもということである「障害」と言っても「差し障りがある人」とは思ってもいない。それ以外の言葉をわたしは知らない「食う」もそうである。男の会話では茶飯事に使う。それをあんまり目くじらたてて言うより、日常会話でご挨拶されたなと感じてくれたほうがまるくおさまる。