日別アーカイブ: 2015年10月16日

ルーツをさがして

きのう長府 功山寺近くの配達を終え、静かな朝8時にお参りができた。
維新の舞台をまわしたお寺(曹洞宗)は、山門からゆるくあがる苔むした石段の奥にある。観光で行く神社仏閣の賑わいはよいが、お参りならば静寂がわたしは好き。

志士たちを 偲び落ち葉の功山寺

山門には血気盛んな志士が切りつけた刃の跡がたくさん刻まれている。山門横の掲示板

決起して 維新の扉こじあけし 晋作の霊 息吹く功山寺 と書かれていた。

母が最後のころ夢うつつで「○○に挨拶に寄ってくれ」と、わたしを認知した父親の名前を言うことがあった。
わたしの出生について語らない。父親の写真は一枚もない。わたしは、そのことを聞くことはしなかった。
けれども「寄ってくれ」と言うからたずねてわかったキーワード。住所・その家は本家・名前。
明治生まれだから墓のなかだろう。わたしが名乗り出たら先方の家庭に波がたつ。けれども墓参りをして母の気持ち(80歳後半、これで俳句をとめると記された句は、あなたを想う一首)を告げたい。
朝、地図情報から地域の名前を検索した。古い土地柄で約30軒あり、わたしがさがす名前は4軒あった。
母の霊前に、これから行くから導いてくださいと祈念した。
そこを歩くと、朝からよそ者は目立つから車で走りながらお寺か墓地を探した。くまなく地域をめぐって手がかりはなかった。もちろん誰かに尋ねたら一発でわかるが目的は言えない。
離れた場所に大きな霊園(廟)があるからそこに向かう途中、小高い所に墓石が見えた。かけ上がると、調べた地域の家々の名前が刻まれた地域のお墓が並んでいた。
ドキドキ心臓が鼓動をうつ。なにか息苦しくもあった。めざす4軒のうち3軒のお墓を確認できた。けれども○○家とだけで、どれがその墓かの特定はできなかった。
けれども、わたしにすれば血の縁故者たちに間違いない。写真に撮りきょうは失礼した。後日、お参りさせていただく。案内役の母に感謝。
持世寺温泉に寄り、身も心もさっぱりした。

万歩計9000歩