松村御大と神戸


神戸の避難所から週1日ぐらいもどっていた。すでに3度も被災地にふく鍋奉仕隊を出した当時唐戸魚市場の松村専務(いま社長)とご縁をいただき宇部の蟹料理店で飲みあげて、わたしの浜山小学校避難所にもふく鍋がほしいと頼んだ。酔った勢いではないだろうが「よっしゃ!」と手帳を出して日にちが決まった。
運送会社の社長に「また行くど。いつもトラックが古いがお見舞いには新しい車にせえよ」まだ要るものがあるかと尋ねるから「畳が要る」と言った。防寒で敷いた発泡スチロールは歩くとキュッと音がする。すぐに萩本陣社長宅に畳はないかと尋ねてくれ160枚もの古い畳が決まった。
その夜に予約したホテルに翌朝支払いに行ったら「キャンセルされました」そして浜山小学校にピカピカの4トントラックに1500人分のふく鍋・唐戸魚市の女性社員が包装した女性下着・畳に洗濯機。
校庭に入る道に放置車両が多く大勢で動かしたが、大型外車のサイドブレーキで困ったら田中が運転席の窓ガラスを回し蹴りで破りサイドを解除した。それでも狭い道にドライバーは困った。牧君がボクがやるとハンドルを替わった。
それ以来わたしは尊敬をこめて松村御大とよんでいる。
震災一年後に菅原市場で5千人分のふく鍋奉仕はまた思い出そう。