神戸で涙


1ヶ月以上風呂はなかった。銭湯のボイラー故障・断水・燃料・浴槽のヒビ。自衛隊仮設の風呂は汚れていたから入れなかった。余震で倒れそうな銭湯は無料だったが、事故のとき責任もちませんと貼り紙があった。ケガをした子供もいた。
電気が復旧したら倒壊した家屋の漏電で火災がたくさんおきた。全国から集まった消防士が震災直後から連続で消火にあたり疲労の限界だった。ホース先端を背中に担いで走る足がもつれて路上に倒れ起き上がれない。野次馬は罵声をあびせた。瓦礫やゴミ処理にも全国から清掃車が集まり不休で神戸を走り、地元に戻るときは積載をこえてゴミを積んで神戸をあとにした。そんな出来事に毎日涙がでた。
火曜日の朝、NHKラジオで仙台局「相馬」アナウンサーが絶句して中断した。小学校は高台で全員無事、しかし親がたくさん犠牲になった学校の卒業式レポートだった。これからできる範囲の支援を続けたい。