お百姓「また来年」の言葉


農園ちかく、収穫間近な田に昨夜は猪が入り稲穂が無惨に倒れていた。「百姓はまた来年と言う」らしい。暑さで鶏が死んでも「しかたがない」とわたしも言う。
昨夜読んだ本に「自分の歩いたようにしか道はつかない」とあった。青函トンネル映画で健さんは「歩いたあとに道はできる」とつぶやいた。不平や不満を考えるまえに、わたしの努力が問われる「歩く」である。
家内が秋刀魚を5匹買い。わたしも安かったから(刺身用、2匹280円)合計7匹の秋刀魚が、刺身と焼き魚で夕飯になった。あまりは朝いただく。犬たちも秋刀魚の頭で喜び。老犬は冥土の土産に刺身も食べさせた。