益は無くても意味がある


10年ぐらい前に庄原の親友、林高正さんのご案内で養鶏場を訪ねたことがある。その帰り道、総領町の山奥で鶏を飼っている羽藤さん夫婦がいた。四国で自然農法を学びこの地で実践していた。奥さまは鹿野の出身だった。廃屋にドラム缶の風呂や薪ストーブなどに驚いた。愛犬は「おど」いつもおどおどしているからだそうである。総領町では山奥に暮らす高齢者をふもとに集めて住宅を提供していた。最近、限界集落とか高齢者しかいなくて10年後には人気がなくなるところを呼んでいる。行政は地域をコストで考える。だからインディアンを集めたように、生活コストのかかる山奥から集めて生活をさせる。廃止路線とかコストにあわないから当然に生活の足を切り捨てる。だから限界集落になると思う。鍵山先生は「益は無くても意味がある」といわれる。日本の政策もこのままでは限界政策になろう。田舎も日本を支えるのである。