母が元気になった

昨夜二件電話が着信した。
広島県庄原市の林さん。お掃除の会などご縁があり酒をもって行き来する仲間。英会話ができるせいか酔ったら英語で歌う。酒癖は良くはない。
けれども彼は三期目の庄原市議会議員。ダスキンも手広く経営されている。
彼はエネルギー問題に関心を持ち、先進国のドイツなど視察を重ね、いま地域で家畜などの糞尿からエネルギーをとりだす仕組みづくりに邁進している。その熱弁を聞いた。
市民の個人がいくら唱えても動かないものでも、市民が推した議員は市民の付託にこたえる力がある。
農園で加奈ちゃんも交えて宴会を約束した。
8時半。酒屋の井上さんから着信。
長患いの愛犬が息をひきとった。
野良犬を飼い14年。犬の歳はわからない。寝たきりになり、紙おむつや使い捨てシートで世話をされていた。最近は床擦れで骨が露出しているところもあったらしい。わたしも「はなちゃん」で同じ経験をしたから苦労が理解できる。
「死にましたいね」の電話をわたしにくださったことが嬉しく、わたしもはなちゃんを思い出して胸がいたかった。

今朝の母は、先週に比べて別人のように元気になっていた。
食事の往復は押し車で歩いた。食欲もある。
先日みた1945年〜1960年までの世相を録画した番組。終戦直後の食料難では、配給の品物では生きていけないからヤミ米などを手に入れるが、街中や駅での荷物の検閲が厳しく、女性が胸に隠した少しの米まで見つけて没収する場面があった。

母、当時は28歳。
終戦のとき食べるものはあったか。とわたしが尋ねたら、しばらくうつむいて思いだし「弁当箱に米を入れて持ってきてくれよった」それは誰かとは尋ねなかった。宇部空襲で逃げまどい、戦後の食糧難もたくましく生きてくれたからわたしは命をいただいた。
天皇陛下の話題で楽しく会話がはずんだ。

今夜は真砂恵さん家族が夕食にきてくれる。子供には肉料理。大人は鯛ご飯とタケノコ料理を家内がつくりはじめた。