ご縁と絆に恵まれた実り豊かな日々を偲んで…

朝6時。気温20度。晴れ。本日、梅雨明け。

島原の「すし吉」さんの葬儀は今日である。会葬は13時30分から。島原では葬儀の前に火葬を済ませることが多いと聞いている。昨年、義父の時もそうだった。

仕事をしながら何度も時計に目をやり思いを馳せる。寂しい気持ちや、お別れの葬儀に参列できず気持ちがザワザワする。

何度も心の中で手を合わせ気持ちを整えた。あちこち痛んだ体での闘病生活ではなかっただろうか。今は、その肉体から開放され色々な所を飛んで回られているのではないかと想像する。

日差しがきつい一日。風が吹き、風見鶏がカラカラ回る様子を見ながら「ここにも遊びにきて欲しいなぁ」とボンヤリ。

今、2000年「ひまわりキャンプ」の記念写真を見ている。前年の反省から一年間、いろいろな「たね蒔き」をしてきた当時の私には集大成の写真。大事な宝物である。

スタッフ、新しく増えた参加者、前年から引き続き参加しれくれた男子高校生2人。この写真を見ると元気がでる。

前年は一泊二日。その前の年は食中毒か何かの影響で中止。久しぶりの二泊三日の森岳公民館での開催だったと思う。

私が担当した2年間、参加者の皆さんが後に振り返ることができる「記念品」を持ち帰ってもらいと努力した。一年目は最後に記念のTシャツをステンシルにて製作。2年目は記念写真付きの修了証。

修了証の原本は保育士のTさんが作ってくれ、写真を貼るスペース以外には、みんなでメッセージを書けるスペースを大きく作ってもらい、参加した障害がある児童、高校生ボランティア、スタッフみんなでお互い書き込みをした。

3日目の解散前に修了証に記念写真を貼り手渡したかったので、ご縁があった「わかば写真館」の店主さんにお願いして初日の夜に撮影した100人ぐらいが納まる写真。

森岳公民館のステージにひな壇を作ってもらい撮影したが、想定外の人数と重量で、アルミのひな壇がめり込みステージを破損。ちょうどHさんが素敵な笑顔で立たれている向かって右側のステージの床に大きな穴が開いた。

修理のため「ボランティア保険」の申請などで後始末も大変だったが、楽しかったり、嬉しかった思い出のみ。

16年前の写真。当時のHさんは、今の私と同じくらいの年齢だった。

結納の際に身分不相応であるが「すし吉」に料理をお願いした。家内の実家にマスター直々料理を運んでくださり、家内のご両親に丁寧な祝いの挨拶をして下さる姿を思い出す。結納の品「鯛」はマスターが見立ててお祝いにサービスして下さった。半分スネカジリの私には支払うことができない金額だったと思うので両親が支払いをしてくれたように記憶している。一緒に料理の配達をして下さった奥様が「今日の鯛は加津佐であがった上物よ」と耳打ちして下さった。

帰宅後、義弟からHさんの香典返しが宅急便にて手元に届く。

会葬お礼のはがき。「ご縁と絆に恵まれた 実りある豊かな日々を偲んで・・・」からはじまる喪主である奥様から文章。

奥様の肉声が聞こえてくるようなハガキに家内と涙した。

マスターありがとうございました。

あだちまさし。