教育は看板だけか


ひなびた湯治場だった湯布院温泉が、地域のやる気で観光スポットの全国区になった。急傾斜地で農業が困難だった大山町が「桃・栗植えてハワイに行こう」の合言葉で地域興し全国の草分けだった。
いま豊後高田市が昭和の町として脚光をあびている。その大分県を舞台に教育会がおお揺れしている。韓国語でソンセン・ニム(先生様)は謙譲語であるが、日本ではそれがコネと金で獲得でき最低の言葉だったと知ったのは、残念なことにわたしが好きな大分県だった。
いっぽう下関市教育長は先の日韓併合についての信念発言をひるがえして朝鮮学園にたいして撤回と陳謝をした。教育をあずかる者が歴史認識がないというお粗末な終止符にがっかりした。在日韓国・朝鮮人がたくさん生活している下関で、日韓の歴史がわかっていない者が教育長である。
大分と下関の騒動で一番とまどうのは子供たちである「米百俵」の志は昔話になっている。