神様まで俗化


自宅前の八幡宮でおきた出来事を、けさ正志が話しをしてくれた。お宮主催の行事の準備で夕方から集まった地域の人のなかに子供を連れたお母さんがいた。
社務所の障子紙に穴を子供があけたのでお詫びをしたら「障子紙を全部張り替えてもらわんと」と神社の対応だった。困り果てた母親は実家に電話で相談したところ父親が乗り込んで怒鳴りあげたという。
30年ほど前、岐波海岸の神社の敷地で野営していたわたしたちに夜宮司が「ここは神社の土地だから出て行け!」と荒っぽい言葉だった。野営仲間が「人は神様の氏子とちがうのか。ここは神様の土地でおまえの土地ではなかろうが!」と怒鳴り返した。あの場面を思い出した。神職は俗化して地におちている。
けれども農園地域の吉部八幡宮では、秋の大祭に隔年で奉納される「村芝居」の稽古が始まって地域の心はひとつになっている。これこそが地域の氏神様の姿だ。残暑が厳しい山口市内を配達して、たくさんの人たちと楽しい会話が弾んだ。
松村御大の同級生、石材店の奥さまは「昔は萩の漁師はふくを一夜干ししておりおいしかったんですよ」といまでは高級魚のふくを日常的に食べていたと。そういえば我が家でも木炭をおこして、砂糖醤油につけた鯨肉や鯨の皮(おばいけ)の酒粕汁が連日でうんざりしていた。神様も食べ物も昔がよかった。