日別アーカイブ: 2014年1月12日

永遠の0

10時上映開始に、山口市内の仕事を済ませて宇部まで走ることは忙しかった。
15分前に指定席に座れた。映画館にあまりご縁がなく指定席まで係の女性が手をひいたのはおじいさん。後ろが騒がしいので振り返ると、家族に付き添われた車椅子のおじいさん。車椅子の場所がなく係の人が工夫された。わたしの少し前列に小学生らしき少年がひとりで座った。
待望の映画「永遠の0」がはじまった。
しばらく待ってレンタルビデオで観ようかとも思ったが、スクリーンに0式戦闘機が爆音をたてて飛び交う。まるで自分が空母に特攻しているような臨場感はビデオでは味わえない。
原作者の百田尚樹さんが泣きながら書き上げたと言われたラストシーン。涙をふかれる人が多くわたしもそうだった。
上映がおわり出口に向かうとき車椅子の方がハンカチを握っておられた。
「二百三高地」昔の映画だけど、山頂のロシア要塞に突撃だけしか作戦がなく、数年前に長府の乃木神社参拝でこの高地の土が展示されていた。戦のあとも雨がふると山から血が流れた。
磯村千代子先生から聞いた。戦死の通知があり戦後、戦死した兄嫁と弟が所帯をもった。数年して兄が復員して、それを喜ぶどころか家庭はどん底の不幸になった。
宇部空襲の日。わたしの母は焼夷弾の雨の中をあてもなく炎のなかを走った話は、幼いころよく聞いた。母は当時27歳。
沖縄戦没者遺骨収集奉仕に長年参加した。沖縄戦は4月から6月。私たちが収集するご遺骨からは暑さで腐敗した臭いはないが、20数万人の亡骸は凄惨を極めたことだろう。
歴史は血と涙でつづられる一面がある。

映画のあと昼ごはんを食べずに母にあいに行った。昼食で眠くなりまどろんで反応が悪い。

冬タイヤの交換。散髪をして朝食と弁当材料を買いにスーパーに行ったら(家内は法事で里帰り)昼ごはんを食べる時間がなかった。