日別アーカイブ: 2014年1月15日

一枚のハガキ

今朝は氷点下の霧雨。積雪より路面は危ない。アスファルトに水溜まりがあるから普通どおりに走る人がいる。しかし、湿り気の路面は歩けないほど凍てつき滑る。カーブで曲がりきれず2メートル下の田んぼに上手に着地した車。ガードレールに衝突した車を見た。

市町村議会会議録調製を目的に「ぎじろくセンター」を28歳で創業。わたし社長。従業員は家内だけ。わたしが契約して委託された議会録音テープ(当時はオープン・リール)を家内が聞き取り、原稿用紙に鉛筆で文字にする。それを議会事務局に校正に出し朱筆に従い、議会指定用紙に浄書するのが家内の仕事。わたしは実務はできなかった。浄書で間違うと「一字訂正二字挿入」などと足立の印鑑を押していた。
東芝が国産初の日本語ワードプロセッサJW10 を世に出した。定価650万円。削除や挿入が簡単にできて会議録には最適だとビジネスショーで感じたが高価で手が出なかった。半年して富士通がオアシス100を出した350万円。移動中の新幹線で読んだ週刊誌の記事で知った。カタログ請求ハガキもあったから広島駅で投函した。
しばらくして富士通の上田課長(当時・農園日記ミニアルバム先月の人)がカタログを下げて来て「一緒に勉強しませんか」と言った。おそらく山口県では一番初めのオアシスユーザーになった。

上田さんは出来ないことは「出来ません」とはっきり言う誠実な人柄で、あいまいな言葉で営業に来るOA関係の人とは違った。
会議録業界最初にワードプロセッサの製品を世に出し仕事はバブルの時代でもあり黄金時代をむかえた。
そして上田さんは「僕の中学同級生で、唐戸魚市場専務(当時・現会長)という足立さんと気があいそうな男がおるから紹介しましょう」で松村御大とご縁ができた。
昨夜、布団で昔を振り返り。あの一枚のハガキがわたしの人生を変えたことに気がついた。