日別アーカイブ: 2014年1月26日

母の日曜日

わたしたち夫婦のあらゆる整理と、母の部屋の片付けを毎月一日かけて家内が自宅で奮闘する。きょうがその日曜日。
母の部屋で8時に家内と待ち合わせた。母の朝食を家内が用意して部屋食で母は喜んだ。
小学生低学年のわたしを連れて出雲の母の里に行ったとき、帰りの山陰本線は益田駅で切り離され、ひとつは山口線で小郡駅。ひとつは山陰本線で下関駅。私たちは小郡に向かう車両に乗るべきところ、母とわたしは益田駅で寝ていた。蒸気機関車の汽笛で起きたとき母が慌てた。右手にあってはならない日本海だった。仙崎で美祢線に乗り終点の厚狭駅。それから山陽本線に乗り宇部駅。宇部線で琴芝駅に着いたときは深夜。バスはないから「つばめタクシー」で自宅に戻った。益田駅から自宅まで「すすむちゃんごめんね」を何度も言った。
その母は、あれほど厳格だった金銭感覚も、俳句を詠むこともなく、三度の食事が楽しみの毎日。大正生まれで激動のなかを立派に生き抜き、いま心配のない幸せな境地を生きているのだろう。
先月はわたしが45歳で250キロ歩いた「旬の旅」と「内蒙古の旅」が自宅で見つかった。掃除の会機関誌「清風掃々」も増刊号から手がけて懐かしい資料が出てきた。
きょうのお宝発見は、18年前、屋久島縄文杉に行ったとき、ウィルソン株を背景の一枚が出てきた。とにかく10時間の行程は雨だった。
翌年、松村御大・垣内社長夫妻・上田部長・ハラダヤ社長・東宝映像の膳師さん・監督の石田さん・兵庫県の香山さん・牧くん・宮崎から馬場さん・下関の運送業社長・岐阜から吉見千恵子さん
あと2名は忘れているメンバーを、わたしが道案内で縄文杉ツアーをした。このときは雨はなかった、二日酔いでスタートして御大持参のウィスキー2本を飲みながら歩いた。

午後から農園で忙しく働いた。明朝の予報は氷点下6度。