風呂場のような火曜日

まるで風呂場にいるぐらいの湿度と気温の火曜日を終えた。早くやすみたいが、部屋の湿度がたかく寝るような気分になれないからクーラーを入れた。さっぱりした晩酌が楽しめる。
過去を語らない母の過去が、いまになり浮き彫りになりつつある。点を結び線になり、線を集めて面になる。過去のなにげない母の言葉をつなぎ、わたしの子守りをしたアサちゃんの記憶の言葉。それに母より約15歳下の妹の記憶。わたしの父親が浮かんできた。母のおおまかな人生が見えてきた。
わたしが、ぎじろくセンターを辞めて養鶏をやる。と母に告げたのは、その年の新年だったと思う「なんで辞めるのか」と声を出して泣いた母。わたしが起業して保証人が無いが銀行借り入れは要るとき「保証人を頼みます」と何度も母を心配させた。
業績がよくなり、借り入れはしなくても資金繰りが楽にできた。母も安心した。
また振り出しに戻る道を決めた息子に、母は老後の希望を失ったかもわからない。
その夏に母が詠んだ句
成り行きは 子に任せいる 夏座敷

おまえを信じておるから。と昨夜読み取れた。

台風の接近で老人会の小豆島旅行が中止になったお客さま。前の台風で1週間断水してトイレに困ったお客さま。みなさん台風を心配されていた。自然の営みにはあらがえない。