横川省三の志


日露戦争。盛岡出身39歳の横川は民間人でありながら203高地につながる鉄道破壊工作に極寒の満州1200キロを49日歩いた。しかし目的まえにロシア軍に捕らえれ銃殺された。
目的などの質問に口をとざし、所持金五百両はロシア赤十字に寄付をした理由は、日本国はこのような最後遂げた者の家族は手厚くしてくれる。縄目を着けずに銃殺をせよ。そのいさぎよさに執行官シモノフ大尉は銃撃手に小声で「愛をもって撃て」と正しく心臓を狙うよう命令した。
約30年後、盛岡在住の横川長女のもとをシモノフが訪れ、お父さんの立派な最期のようすをお伝えにきましたと大粒の涙をこぼした。
…井上酒店がネットで検索した資料を渡してくれた。生き方を話せる友がここにもおりわたしはしあわせ。
昨夜は「山大生の杏子です」と合格報告の電話がありしあわせだった。毎日しあわせを積み重ねて。