母の幸せ


過去を語らない母は、90数年の人生でなにが幸せだったかも語らない。いまそれを推察したらふたつある。
「ええ嫁がきた」とわたしの家内は自慢のタネ。もうひとつは、女手ひとつで西岐波に自宅を建て、共同便所に共同風呂の山大官舎から出たとき。50坪の敷地にプレハブのような自宅。わたしに経済力ができてこれを売り払って立派な家をつくるから、ローンに印判をくれと話したとき「この家を売るんか」とため息をついた。用務員を30年もやり、人並みに手にした家の値打ちをわたしは理解できなかった。愛した男に添い遂げることもなく、わたしを育てることに必死で働いた。長生きしてくれるから少しでも親不孝を詫びることができる。
配達から4時にもどり疲れているが愛犬(はな16歳)をつれて防府市内の獣医さんに行った。1ヶ月ほどまえから再び前足に熱がでて毛もなくなり赤身になった。また薬が毎日千円×3ヶ月はたまらないと放置していた。昨夜から大金になっても惜しんで悔いをのこしてはならないと思った。万全の検査のあと1万数千円の皮膚炎注射で処置はおわった。お金と病気を比べたことを犬に詫びながらもどった。