神戸14年目


会議録契約自治体数を200団体以上にしていたころ、一番の競合会社は神戸にあった。おもに南九州でわが社と激しい営業戦争をしていた。
14年前の1月19日、神戸に行ったとき三宮など真っ直ぐに建っているものが少ない被災現場をみて「元町の会社も同じだろう」と、恥ずかしいけれどライバル会社がダメージを受けたことを喜んだ気持ちがあったのは事実だった。
浜山小学校避難所で被災者のみなさんと生活しながら、被災したひとの絶望的な気持ちが理解できはじめたころ競合会社に電話をした。12月定例会の会議録を受注して困っていることはわかっていた「この状況だから、12月定例会の仕事は手伝いますよ」と申し出た。数年後、この会社の社長に招かれて神戸牛をご馳走していただきお礼の言葉をいただいた。
あの神戸があってふく鍋隊の松村御大や宮崎弁の牧君。三田市のガッデム香山やたくさんの方々にご縁がうまれた。
15年目の17日の朝は神戸でむかえたいと願いをたてている。
愛犬を心配してたくさんお便りをいただいてありがとうございます。食欲はあり、排便に排尿も自力でできます。