命どう宝


64年前、戦闘が終わった沖縄。約3ヶ月ものあいだ鉄の暴風が吹き荒れたと言われているのは、1平方メートルあたり6トン以上もの艦砲射撃の砲弾が炸裂し、沖縄県民の4人に1人が命を奪われ、家族で自決するという凄惨なことにもなった「沖縄県民かく戦えり・・・」と電文を打ったのは牛島中将か大田海軍大将だったか記憶がないが、この電文の前文には女性や子どもまで夜間突撃に志願したと書かれている。
本来ならば県知事が打電するものを自決まえの軍人がおこなったのは、知事は県民とともに南部に移動し、食料の調達に奔走して戦死されたという。打電の結びは「将来、沖縄に格段の高配をお願いする」だった。3ヶ月で20万人がなくなった。
そのご遺骨収集奉仕に何度も参加させていただき平成10年2月に、摩文仁サボテン公園東側岩場で子どものご遺骨と「大城養秀寮・カナグスクサチ子」と刻まれたセルロイドの三角定規を発見させていただいた。
きょうは沖縄戦終結の日。