日別アーカイブ: 2015年6月18日

母の記憶遺産をつくる

西君やたくさんの方々と人生のなかでお別れをしてきた。その悲しさと母親との別れはちがう。別れた人はさがしても会えない、会話もかなわない。それは同じ。
母は私に人生をとおして愛情をそそいでくれた。それがじわじわ実感となり、その母を思い出のなかで探さなければならないことが寂しい。
人は縁(ゆかり)のある人の心のなかに生きるという。それは縁ある人もいなくなれば終わり。墓を建立して、せめて名前は後世に遺そうとする。
わたしは、名前よりこれから数ヵ月のあいだに母の人生をひ孫たちまでに伝える文章の作成をはじめようと決めた。
確かに、わたしには未婚の母(シングルマザー)。
母のいちばん下の妹は80歳。兵庫県。
2年前に妹の鶴子おばさんを訪ねた。母とは15歳近く歳が離れており、長女だった母は早くから奉公に出され鶴子さんとの生活はない。その鶴子さんがわたしに「あんたの父親は、それは立派な人じゃった。直江の家にも何度も両親に挨拶に来てくれ、手紙もたくさん達筆だった。当時は貴重な牛肉をかたまりで送ってくれ、それが楽しみじゃった。姉さんは嫁にはなれなかったが幸せじゃったと思う。あんたは父親がおらんかったと卑屈にならんでええ。立派な獣医で紳士だったから」
中国大陸で母は幸せな時があり、わたしを生めば嫁になれると夢を描いた。愛する人を信じて故郷に帰らず宇部に単身来た。母は人並み以上の恋に生きた。
晩年、俳句が趣味になりいくつか書きためている。その作品もひ孫たちに伝えておかねばならない。
終わりよければ すべてよし。まさに母の人生。

いつもの木曜日。小雨のなかを1日元気に走り終えた。午後から国会中継は河村建夫先生が委員会の議長。ご夫妻親しくしていただいており誇らしくラジオを聴いた。