日別アーカイブ: 2015年6月21日

母の日記が出てきた

昨夜はビデオ映画。

父親は7歳ぐらいの知能。その父親の子を出産して逃げた母は行きずりのホームレス。父親はコーヒー店でわずかなアルバイト収入を得て愛娘との生活に懸命。この父親に育児は無理だから里親をさがす社会秩序が動きはじめた。その秩序に懸命に親子はあらがい施設から愛娘を取り戻そうとする父親。ラストシーンは、この親子の生き方に自身の育児や生き方を周囲の者の家族愛が問われた。録画していた映画「I am Sam アイ・アム・サム」家族の愛を考えさせられるよい作品だった。
朝はゆっくりコーヒーと新聞読み。
日韓親善協会中央会会長 河村建夫代議士の「日韓50年 関係改善の道筋」というコラム(毎日新聞19日)を見つけた。首脳会談開催あと一歩と結ばれていた。
日曜日の朝は8時に山口市内の納品。8時半には母に面会を7年続け、今朝は面会のない最初の日曜日。昨夜から日ごろはできない時間をおくった。
父の日だから仕事はしなくてよいから。と正志夫婦が昼ごはん代の金一封をくれた。その言葉に従うほうがよいと判断して映画を探した。樋口可南子「愛を積むひと」を家内と見に行き、痛風に遠慮しながら昼ごはんに冷えた生ビールを添えた。
断片的に書かれた母の日記が出てきた。日常の母の視点。そこには漫然と生きておらなかった母がいた。そして末尾には、その日の一句が必ず添えられていた。
姿をけしても、母とは日記であえる。