日別アーカイブ: 2016年2月16日

母の誕生日

おばあちゃん(母)誕生日。
大正生まれは、男も女も激動の歴史のなかを懸命に生きることを強いられた。
中国語ができた母は、大陸でなにをしたのか、陸軍獣医のわたしを認知した男性(明治生まれ)との思い出も合わせて一言も話さなかった。
焼夷弾の雨。宇部空襲のとき宇部港、保健所側にあった自宅(母20代で)は焼失。
33歳(1951年)わたしを出産、シングルマザー。山口大学工学部に奉職、わたしを育てあげるだけの人生を歩んだことは知っている。
大学にわたしを進学させるゆとりはなく、兵庫県の親戚(妹の主人)が役員をしていた松下電器下請け工場に母が就職を決めた。わたしが辛抱して働き、母は晩年に移住する気持ちを話してくれた「だから頑張ってくれ」と。母のレールを生きることが決められた。
母の夢を果たせないまま宇部に舞い戻った。
生活の見通しがないまま結婚。母は市営式場で一番安い(両家で50名)挙式になったがわたしは一円も蓄えがなかった。

事業を興して資金繰りの保証人はいつも母。黙って実印を預けてくれた。

昨年、息をひきとるまで驚くほど懸命に生きる姿を見せてくれた。施設と病院生活7年。がんも克服(がん保険受け取り)
誕生日や時々の節目に家内が農園御膳を冷めないよう工夫してくれた。
母がわたしを育てた苦労に報いたとはとうてい思えないが、精一杯の親孝行はできた。

母の誕生日。母を思いだした。母の俳句には到底およばない、母の句には心が描写されている。

息子の本日

襟たてた ふっくらスズメに 雪が舞い

万歩計12000歩