神戸のおもいで


震災の浜山小学校(兵庫区)避難所が解散されるまで約4ヶ月お手伝いをした。
マグロ船出航をキャンセルして大型バイクで牧君(宮崎)がきた。腕がバットのように太かったこと。若いのに宮崎弁だったこと。そして避難所で縁があった暴力団組長の世話をした。親分は4月に学校でがんで吐血し絶命した。
組葬に牧君とわたしは招かれた。その夜彼に尋ねた。なんで親分の世話をしたのかと。宮崎に大好きなおばあさんがいる。その世話をするつもりで介護ができた。
黄栄作さんから「心のしんせき足立さん」のタイトルはがきを頂戴した。美祢市の配達でご実家に行き、難病で年々ご不自由になられる彼のオモニがご在宅なら、わたしは玄関に腰をおろして時間は気にせず会話を交わす。泣いたり笑ったり。それができるのは、神戸で牧君がやったこと。
今月で入院一年の母親。その見舞いにはなかなか行けない。美祢で親孝行の真似事。暑い月曜をおわり冷たい焼酎で疲れがとれる。