故人が多くなり


月曜の脱輪騒ぎのお礼に歩いた。
酒屋の井上さんは、以前雨のぬかるみにタイヤをとられたとき、近くにいた高校生に「押してくれ」と頼んだ。彼らは学生服をドロドロにして手伝った。エンジンをとめてクリーニング代は払わなければと行ったらいなかった「あの子供に、今でも申し訳ない」
ポンプ屋の横山さん「出張さきの対馬でタイヤを落とした。近くにいた人が集まり人力で出してくれた」横山さんの要請電話で駆けつけてくれたホンダの方「俺の友人で山本守元さんの友人でもある人が困っている」宇部青年会議所の仲間たちだった。ほんとうによい仲間にわたしは支えられている幸せを実感した。
宇部市内に用事がありついでに中学同級生のアレグラ美容室に立ち寄った。3年のクラスで故人が5人もいた。なかでも植田益民君は小学生からの友達。脳性マヒで発音がはじめはわからなかったが、彼と会話に不自由はなくなっていた。義足など装具製作会社で働き、彼が結婚したときは祝杯を居酒屋であげた。自宅にも訪ねてくれ、わたしの次女と同級生の女の子も授かった。いつでもあえると思っていた彼の訃報に驚き悲しくなった。