山口市内はサウナ

「妻と飛んだ特攻機」衝撃的な本があることを知った。
谷藤少尉は中央大学から学徒出陣。東条英機が終戦前に学徒は一年軍隊経験をすれば少尉になれるようにした。谷藤は満州で少年飛行兵の特攻訓練教官になった。少尉なら現地に家族をよべる。新婚の妻朝子と満州で生活をした。8月9日からソ連が満州に侵攻。すでに関東軍は南方に主力は移動。在留邦人はホロンバエル草原をさまよう。15日玉音放送で武装解除。逃げまどう日本人の集団を戦車はキャタピラーで殺戮した。谷藤少尉は丸腰の訓練機が11機残っている。それで戦車に特攻を仲間と決めた。19日特攻の日。白いワンピース姿の朝子が谷藤少尉の機に乗り込んだ。11台の戦車が捨て身の特攻で破壊されソ連軍の士気は鈍った。
中尾下関市長が唐戸魚市場常務の時代。当時の松村専務に「満州の夕陽はええど」と背中を押されてホロンバエル大草原を、蒙古族のパオに泊まり旅をした。コンクリートのトーチカが戦車に踏まれて崩れている光景がたくさんあった。朝子夫人24歳。生きておればソ連兵に辱しめを受ける。サイパンやテニアンの島々で自決された女性と同様。ここ満州では夫の特攻に同乗するしかなかった。
酷暑で有名になりつつある山口市内を140キロ走った。1時に37度とラジオが知らせた。農園に戻って暑さのちがいがよくわかる。