自分史3

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20年ぐらい前、金光教信徒会連合本部から連絡があった「今年8月、岡山市で開催される信徒会大会の講師を、イエローハット鍵山秀三郎社長にお願いしてくれないか」と。調べてみると自宅から遠くない場所にイエローハット物流センターがあり、1月11日に鍵山社長が年頭の挨拶に来られる情報を得た。年頭挨拶が終わった午前10時に面会できるよう東京本社の社長秘書にお願いができた。
約束の朝、秘書から電話を受けた「きょう鍵山の予定は過密です。面会は10分程度でお願いします」と。
応接室で10時をむかえた。作業服に長靴のおじさんが入ってきた。掃除の人と思い横を向いていたら「鍵山です」と声をかけられた。作業服と柔和な笑顔。丁寧なおじぎが第一印象。
目的の講演は手帳の予定を確認され「宗教団体はお断りしているのですが、金光教はよく存じています。まいりましょう」と快諾いただいた。
目的は果たせたから、すぐに退席と思っていたら「足立さんは、どんなことを本気でされていますか」と尋ねられた。
戦前・戦中、日本で働く朝鮮人男性と所帯を持った日本人女性が数多くいた。終戦後、夫の祖国に海を渡った。数年後に朝鮮戦争勃発。半島全域が戦場になった。
混乱のなか夫が亡くなり、あるいは消息不明になり、反日感情のたかい異国で言葉もわからず路頭に迷う日本人妻たちが各地にいた。
山中に穴を掘り昼間は潜み、夜になると畑の野菜や残飯を探したり、言葉が不自由な演技をしたり苦労しながら異国とどまった。混乱で別れた夫や子供と再会できるかもわからない望みを抱いて。

彼女たちを保護している「慶州ナザレ園」を知ったのは「ナザレの愛」というビデオ(制作ローヤル)だった。一度訪ねてから、毎年2月に下関から海を渡る訪問団を募り継続していた。2月は寒く園を訪問する人は少ない。わたしが本気でしていることは、毎年ナザレ訪問団のお世話ですと申し上げた。
ビデオ映画「ナザレの愛」は鍵山社長が園をひらかれた金龍成先生(父親は抗日運動で日本軍から殺害された)の民族をこえた博愛精神に感激され、ビデオ映像で世に出された。ローヤルはイエローハット前身の会社名だとその場で知った。
奇しくもナザレ園が鍵山社長とわたしのご縁をになった。
約1時間、応接室で親しく言葉をかけていただいた。主な内容は、お掃除で良い方向にかわるものがある。
もうひとつは「凡事徹底」簡単なことでも続けているうちに、それがわたしの生きる力になりますよ。
鍵山社長と感激のご縁でわたしは掃除をはじめ、広島の井辻栄輔さんともご縁がうまれた。井辻さんが当時楽しくされていたパソコン通信の部屋(パティオ)に仲間入りした。はじめはモバイルするには公衆電話やホテルのモジュラーにパソコンを接続して、ロード2という遅い通信速度でも、毎日かなりの頻度でパティオの会話に参加した。しばらくして携帯電話やPHSに接続できるようになった。
さらに井辻さんが携帯電話のメールを駆使されはじめ、わたしも仲間入りした。
わたしの通信技術は井辻さんとの楽しい会話に育まれた。

ナザレがご縁で掃除につながり、掃除がご縁でたくさんの掃除仲間に恵まれた。