中村勝子台風が去り


ご本人は「わたしはふつうのおばさんたい」が口癖なのに、肥後猛婦とか女傑などと中村勝子さんの周囲は機関車のような力強さの非凡さをたとえる。
10年ぐらい前に、掃除がご縁で先生の熊本弁で八方破れの勢いに魅了され「ともちゃんの銀メダル」の出版を手伝いわたしは中村ワールドにどっぷりつかり、山口県にSOの旗揚げをすることになり、ついに障害をもつ人とできる仕事をしたいと思うようになり、その道を48歳で選択した。もちろん磯村先生の障害児教育についての情熱や鍵山先生の凡事徹底という生き方もおおいにわたしの魂をゆさぶった。
「お金はないかもしれんけど、ばってんこがんあんたは幸せになっとう。うちは安心したと」今朝、烈婦の別れの言葉だった。