禁煙3ヵ月


日曜、アサちゃん兄弟と母親の言葉を何度もかみしめている。アサちゃんは電話帳でわたしの名前を探しており、それは下萩原時代というから20年以上も前のことである。
アサちゃん家族と宮島旅行では、ご両親がわたしを真中にして写真に写っている。たくさん実の子供も一緒であったのに。母が夕暮れにわたしを保育園に迎えに行ったのは、地域の人、山大工学部の公用車運転手と様々な人が「ススムちゃんを迎えに行っておいたで」と毎日日替わりだったらしい。
当時、黒塗り高級車で運転手つきの身分だったわたしは。ところが日本ではじめてトニータニーの子供が身代金誘拐にあい、園として母親ひとりが迎えにくことを要求したと聞いた。わたしは父親がわからないという不幸せではなく、じつに多くの人から愛されて育っていた。その裏づけは母親の誠実な人柄だったことが今回よくわかった。母はひとりで二役をこなした。きょうで禁煙3ヶ月。