西君と全力疾走の午後


昨夜、録画していた従軍看護婦証言番組をみた。アジア各地で終戦をむかえた彼女たちのなかには、中国内戦や朝鮮戦争にまで捕虜として動員され、帰国が6年
後の人もいた。26年はわたしが生まれた年である。薬など一切なくなり傷口にウジをわかせて化膿したところを食べさせる「ウジ治療」なるものが考案された。
傷病兵を看護して、元気になったら前線に見送り兵士は敵兵を殺しに行く。わたしが命がけでやった看護の意味がわからない。動けない重傷兵に軍医の命令で命をたつ注射をした「わたしの終戦、わたしが死んだときです」の言葉が重かった。
午後から草刈をしていたら逃がした鶏を西君が走って追いかけていた「針金で捕まえろ」と怒鳴った。鶏の足をひっかける道具がある。それを2本、つまりわたしにも捕れと持ってきた。挟みうちでやればすぐなのに、彼はわたしの後から走るだけ。言うてもわからないから農園内を走りまわってようやく捕まえた。
夕方は杉本さんひさしぶりの来園。