日別アーカイブ: 2013年6月25日

沖縄がわからない

23日が沖縄戦終結とされている。朝の番組「視点論点」に元沖縄県知事 大田昌秀氏が出て10分語ったが、わたしには理解が出来なかった。
沖縄が琉球の時代、薩摩に侵略されて以後、大和(日本)の捨て石にいつの時代もなった。特にサンフランシスコ講和の昭和26年、沖縄だけがアメリカ統治として残された。大田実海軍中将が6月23日、行方不明の沖縄県知事にかわり「沖縄県民かく戦えり」の大本営への打電を最後に自決された。沖縄県民へ格段の高配を願う電文は知られている。それをも引用し、沖縄はまったく冷遇され続けている。だから日本から独立も視野に入れながら。といつもの持論を展開した。
本土復帰直後、わたしは戦没者遺骨収集奉仕で沖縄に通った。沖縄タイムズ社発行の「鉄の暴風雨」という沖縄戦の写真集が空港や土産物売場に必ずあった。沖縄の敵は米軍より日本軍という意図で本は構成されていた。日本兵に強要され集団自決に追いやられた。日本軍が住民の食料を奪った。そういう記述だった。
復帰した沖縄は酒・タバコに米をはじめたくさんのものを対象に優遇税制があり、沖縄全土が免税店状態で住民が喜んでいたのは日本政府の格段の配慮でしかない。
収集した遺骨を沖縄タイムズや琉球新報は「過去に収集した遺骨の残りを集めている」と報じた記事に驚いた。それは、復帰前に厚生省から多額の予算が遺骨の収集に沖縄に投じられ「終わった」という沖縄からのシナリオがあるから、その予算は目的どおりにつかわれたのか?まだ完全な一体のご遺骨がたくさん出ては面目がたたないやからがマスコミを操っていると感じた。
サイパンやテニアンなど多くの島で日本人が自決をされた。広島や長崎をはじめ全国が無差別爆撃を受けた。戦争は二度とあってはならない。
しかし、ことさら沖縄戦を挙げて、独立まで言及することに唖然とした。
いつも沖縄が見えにくい。