投稿者「水元」のアーカイブ

朝の散歩コース

先日、在日チベット人のヤンジンさん講演で再会できた呉明美さんと愛娘の美雨ちゃんを携帯カメラで撮った。8月の農園日記に画像を使わせていただく了解をいただいた。彼女の実家は下関市内で「おうちレストランのテジョン(韓国料理店)」。今年11月が開店5周年の月になる。定休日の日曜日を20名ぐらいで貸切り、料理と酒と彼女のカヤグム演奏を楽しむ会を催したい。近々に日時など詳細を日記でアップします。
早朝から日射しが強い季節になった。毎朝のウォーキングは日陰が汗をかかなくてよい。農園近くの工業団地の坂道が8時ごろまでは日射しがあたらない。最近はこの坂道を4往復(約30分)歩いている。
井上酒店で「あかるい農村(鹿児島芋焼酎)5年古酒」を買った。しばらく楽しめる。

母の足が弱る

昨夜はハッピーが吠えて作業場に入ったヘビを知らせてくれた。手の入らない狭いところだったから殺した。
いつもは押し車に体をあずけてぼとぼと歩いている母が今朝は車イスに乗り、職員さんに押してもらい食堂に来た。できることがだんだん少なくなる。きのう次女の真砂恵が会いに来てくれたことを喜んでいた。ウナギが食べたいと言うから来週の日曜日はウナギを食べさせよう。
午後から草刈り。しっかり汗をかいた。毎日数羽は死ぬ鶏は2日おきに焼却しないと腐敗する気温になった。焼却用の薪をどんどんつくらねばならない。
今夜は真砂恵家族が夕食に来る。

黄正吉さんのお手伝い

大韓民国建国65年記念事業として、在日チベット人 バイマーヤンジン(歌手・大阪在住)を下関に招き、慶尚南道道民会の会長 黄正吉(ファン・ジョンギル)さんが会を催された。ヤンジンさんの講演と歌は以前聴いてすばらしさを知っている。黄さんの趣旨も理解したからチケット販売を手伝った。
卵のお客さまとお掃除関係者約20をお迎えした。全体で約200名は集まった。黄会長の挨拶ではじまり、宝塚トップスターのようなヤンジンさんは鮮やかなチベット民族衣装で、在日として両国を愛して暮らす日々を講演された。中国国立四川音楽大学声楽部で西洋オペラを専攻された実力の歌を数曲披露された。
下関の呉明美(オ・ミョンミ)さんが、2月に出産された愛娘の美雨(ミウ)ちゃんを抱いて来られた。彼女の実家は韓国料理店のテジョン。貸切りで料理と酒と彼女のカヤグム(韓国の琴)演奏と唄を楽しむ会を近い将来やりたいと立ち話ができた。
正吉さんの願いが叶いわたしもうれしい土曜日になった。

耳の穴が小さいか?

2ヶ月まえ、運転中の携帯電話使用で反則キップを切られた。すぐにドコモショップでイヤホン通話ができるものを買った。そのイヤホンがわたしの耳に入らない。痛いのを我慢しても入らない。しかたがないから通話時は指で押しあてて使うので片手運転になる。きのうドコモショップに行き「耳の穴に入るものがありませんか」と聞いたら、若い美人店員は笑いをこらえて「それしかありません」また反則金6千円払うのも腹立たしいから使える方法を考えた。耳に入れる器具のカバーを外せばよいとひらめいた。ゴムのカバーを外して、少し耳にあたるプラスチックは痛いが耳におさまった。
背骨がひとつ多いとか(座高の問題)いろいろ特殊なことがわたしにはある。
金曜日。周南市からの帰り道、ラグビーで鍛えた戦車体型の上田さん宅を訪ねた。立派に手入れが行き届いた庭に客間とわたしには別世界。けれども会話は老後を生きること。バブルの黄金時代を上田さんと呑んだ。いまは血糖値や血圧を気にしながらお互い生きている。政治に歴史などを教えていただける。
4時半にもどり、暑いけれども農園の仕事があり汗をしっかりかいた。いただきもの泡盛(12年古酒)を今夜は楽しみたい。

灼熱の厨房

水曜日の小野田市。建設会社の社員食堂。数十人の昼ごはんをまかなう女性が「朝から火を使うから暑いけど、外で働く社員の暑さを思えば、暑いは言えません!」
木曜日の最初はレストラン「うさぎ」オーナーシェフは日焼けで真っ赤。西長門リゾートのプライベートビーチで出張料理がお盆過ぎまである。ランチに間に合わせるため朝からビーチでの料理は体力が要ります。けれども料理を喜んでいただき、利益もあれば暑いなんか言えませんよ。
木曜日の最後は美祢市の「よしの」うどん店の夏は釜の湯と揚げ物の熱でたいへんです。まぁうどん店の宿命ですから。3時に閉店して夫婦はキャンディーをなめるのが日課。
わたしも「暑い」を言わないよう心がけての木曜日。
ラジオからわたしには理解できない言葉がポンポン出る「流行アナライズ」がどうしても気になり、信号待ちで電子辞書でひいて納得。日本語で表現できるのに。
昼間は暑くても、夜は涼しい農園に戻った。

不在者投票

高校2年の男子学生同士が先月、校内でケンカをした。その顛末がなぜか数日まえからラジオ、テレビや新聞で報じられた。退学か転校を加害者?の学生に求めて幕引きらしい。高校生のリンチやイジメでなく、わたしには高校生らしいケンカだったように感じてマスコミが騒ぎすぎのように思えてしかたがない。マスコミが人を裁く力になるほうがよほど不自然ではなかろうか。
11時間の開腹手術をされた今村さんが日に日に体力を回復され、今朝はこれから草刈りに行くと支度中だった。大学野球監督だったから炎天下の汗は気持ちがよいと高笑い。暑さにうつむいているわたしに「気合い」をもらった。
水曜日の配達をおわり不在者投票に立ち寄った。前回市長選の不在者投票で「足立さま」と声をかけていただいた女性がきょうも微笑んでくれたが会話はなかった。あとに続く人たちが日本人の誇りをもって生きていける世の中に一票を投じた。

亀の恩返し

きのう、涼しくなった夕方、草刈りを機械でやりにくい場所に除草剤を散布して歩いた。草むらがザワザワ動くので棒切れで確認したら亀甲模様が消え黒い甲羅の大きな亀。両手で持つと臭いかもわからないからバケツをとりに行き川まで運んで逃がした。相当長生きしているらしいから竜宮城かもわからないと思った。8時ごろ犬が激しく吠えるので窓をあけたらライトを点灯した車が来ていた「宅急便です!」と言う。階段をおりたら宅急便が作業場に入っていた。なんと牧クンだった「別府から大阪に向かう途中です。10分おじゃまします」仕事(高速道路メンテナンス)は順調で海外旅行ができるほど稼げている。短い時間で宮崎弁つかいまくりで近況を語った。わたしに宮崎の瓶入り芋焼酎。西君お供えに別府銘菓を置いて2時までに大阪に戻りたいと走り去った。上海で飲食店をはじめたが撤退。いろいろ大変な毎日を過ごしているから便りもないのだろうと案じていた。神戸の震災からの付き合いのなかで彼は一番スリムになっていたが元気いっぱいだった。
カメの恩返しは元気な牧クンとカメ入り焼酎。
暑い山口市内を走り終えて農園にもどったら35度。夏がはじまったばかりでこの暑さ。年々季節がきびしくなる。

梅雨あけ

おおきなアオダイショウを3匹殺したが、結果的につばめのヒナ4羽はヘビに食べられ守ることができなかった。もうあれだけおおきなヘビはいないだろうと思っていた。わたしの経験では、ヘビは種類ごとに住むエリアをわけているように思う。ここ4年マムシ、シマヘビ、ヤマカガシを見ていない。アオダイショウだけである。3匹も駆除したからマムシが出るのではないかと心配していた。きのう草刈り中に長いアオダイショウの脱け殻をふたつ見つけた。ネズミ対策にはヘビが有効。狭い場所のネズミの巣で育つ子供を食べる。
さらに強力なネズミ防衛軍が今朝あらわれた。前にいたのとは別のネコが太郎の小屋そばで寝ていた。居着いてくれたら助かる。
3月のイノシンだから冬ほどよい肉ではないが食べてくれんか。美祢で猟をするお客さまから丁寧にさばかれた肉をいただいた。よく脂がのっていた。
数年まえ挿し木した月下美人にふたつつぼみがついた。
梅雨明けになり真夏日の月曜日。元気におわった。

早朝はテレビと草刈り

戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか第1回「沖縄」昨夜のEテレ放映を録画して、3時からみた。基地問題を常に掲げて日本政府と相容れない沖縄に、わたしはますます疑問がうまれる。巨額の予算が振興に使われている。番組では予想どうり土地を基地に貸し出している住民の苦悩?がクローズアップされた。日本政府から土地借地料がいくら支払われているかの取材はなかった。地主は「基地は人殺しのためにある」と土地返還を訴え番組は終わった。
その主張だけで構成した番組はおかしい「基地は人の命をまもるためにある」という論調を、北朝鮮や中国が軍備拡大をするなかで、防衛省やアメリカ軍の立場も取材してこそ番組として成立するように思えた「9条」を唱えておれば平和ということはない。
4時半から7時まで、1ヶ月放置して、雨で伸び放題の隣接耕作放棄地の草刈りをハンマーナイフで刈り終えた。しっかり汗をかいた。
母にあいに行った。朝食を済ませ部屋でいろいろ会話ができた。会話の内容はトンチンカン。それでも生きておってくれるから嬉しい。

思いこみスパイラル

県セミナーパークで「会津と長州」の講演会がある。昨夜、いつものように携帯電話サイトから聴講申込をしたが、入力エラーで承認されない。難しい入力でもないのにできない。いつもは夢のなか9時すぎまでエラーを繰り返し頭が混乱したまま寝た。朝4時にはじめから入力したら申し込みが受け付けられた。昨夜はある箇所をわたしの思いこみでミスをしていた。
6時すぎ萩に出る前に念のため雨具と長靴を積んだ。早朝から地域では草刈りがはじまっていた。30分走ったいつものコンビニでドリップコーヒーを楽しんでいたら、冷たい風がふきはじめ暗雲が迫ってきた。携帯電話に防災メールが着信。わたしが向かう萩市・長門市と美祢市に大雨警報が出て、JR山陰本線と美祢線は不通になった。
息苦しさを感じる豪雨をついて萩市に入った。道路は各所で冠水。長門市も美祢市でもずっと雨のなかだった。農園、午後から雨があがり夕方までしっかり草刈りができた。
ポケットベルが発売された直後だから30年ほど前。真新しいポケベルを持って小郡ICから中国道にのり鹿野に向かった。仁保の巨大パラボラアンテナを眺めて「荷降峠SA」のトイレに立ち寄った。わたしの他に車はいなかった。山奥のSAは静寂。用を足して出ようとしたらピッピッと間近で音が出た。あのアンテナを見たせいか宇宙人が間近にいると思いこんだ。トイレの中で身をかがめて宇宙人が去るのを待った。ポケベルが最初に鳴った出来事。

日本語がわからん

昨夜、間違い電話の着信「○○さんの携帯でよろしかったでしょうか」大阪の車販売の若者?レジでも「千円からでよろしかったでしょうか」この「よろしかったでしょうか」がわたしは違和感がある。
今朝のニュース番組。スマホの盗撮アプリを知った女性は記者に「ふつうに驚きました!」この「ふつう」も理解できない。なんでもかんでも「やばい!」の一言も不快。
心を伝える言葉は大切に選んでほしいと思うのは歳のせいかもわからない。
今年はダニが異常発生している。毎日3頭の体をさわり小豆よりおおく育ったダニをとる。あまりの多さに駆除薬を買い皮膚につけた。これだけダニが多い歳ははじめて。
周南市からの帰り道。コーヒーもカフェインドリンクも効き目がない睡魔がきた。路肩に停めて約10分、夢をみていた。

きょうも豪雨

ガソリンスタンドの男性。まえから九州弁の片鱗がチラチラ聞こえた「九州はどちらですか」と尋ねてみた「中津(大分県)です」と笑顔でこたえた「わたしの食べ処は宝来軒でした」「あの店は昭和33年創業で中津の味です。よくご存知ですね!」駅前のハモ料理店や鶏唐揚げ店など中津談義で盛り上がった。「しかし、女性かよだきい(面倒)」と方言をつかうとガッカリですねと言うと「家内は今でも大分弁がぬけません」
午後、美祢市から大谷山荘に向かうころから激しい雨あしになった。道路が川になり運転は危ないと思い30分空き地に停めた。
最後の「よしの」から農園までの山越えは危険だと思い、50キロ規制の高速道路をひと区間利用した。
ハッピーは落雷で1日震えていたらしい。わたしが戻ったらしきりと甘えた。

想定内で驚かない

きのうむし暑くムカデを2匹散歩中に見た。こんな夜は部屋に出ても不思議ではないと思い寝た。
ムカデは部屋で繁殖しているとは思っていない。外から建物の壁の内側から入るか、あるいは外壁をのぼり部屋に入るか。小さいムカデはいない。出てくるのはジャンボサイズ。今年はすでに一匹殺した。
最近、むし暑い夜は出て当たり前、もちろん出ないほうが気持ち(願望)がよいから、出ないことを想定している。だから出たとき驚き慌てる。
1時にトイレに起きた。トイレのドアを開けたら白い洗面所に大きなムカデが動いた。想定内のことだから「やっぱり出たか」と慌てることもなく殺した。
例えば、運転をするとき物陰から人や車の飛び出しがあると想定しておけば、そのとき驚かず、慌てることは少ないと思う。
豪雨に落雷の荒天水曜日。完全装備で雨対策をしていたから、それほどたいへんな配達ではなかったが、通学の子供や道路工事の人たちはかわいそうなほどだった。宇部市の国道が1ヶ所冠水で通行止めで迂回した。
生体肺手術と同じ11時間の開腹手術をされた今村さん。やっと顔色が元にもどり、今朝は草刈機を担いでおられた。その姿が嬉しかった。

季節感はアルミ缶の数

ジメジメ感たっぷりの早朝40分散歩。目の前を特別おおきなムカデが横切った。山道だから殺す必要はない。そこから少しすすんだらまたムカデ。大きなアリが数で攻撃をしていた。しばらくファーブル状態で観察した。強力なムカデのアゴより、数に勝る弱いアゴのアリががぜん優勢だった。
湯田温泉のラーメン店に卵ひと箱と鶏ガラを納品。夕方から朝までが営業だから合鍵で入りスタッフに会ったことはない。テーブルのメモに目がとまった。深夜に交替のとき書いた乱雑な走り書き。とにかくお客さまを大切にせよ。わからないことは電話せよ。携帯電話番号が書かれていた。夜の街で懸命に生きる足跡をみた。
応援しているカヤグム奏者の呉明美さんから、2月にうまれた美雨ちゃんの写真ハガキが届いた。お祝いかたがた韓国料理店「テジョン」にまいりますとメールをした。
暑くなり毎日いただくアルミ缶の量が増えてきた。きょうも満載で農園に戻った。

朝はジリジリ午後はジトジト

朝はつよい陽射しが部屋に入るから雨戸をたてた。午後から雨になろうとは天気予報も知らせなかった。
ずっと歯茎の調子が悪く、一時は食べる意欲までなくなった高齢(18歳)ビーグルの太郎。ずいぶん痩せて弱ってきた。終日寝ているが腹這い。今年はダニが多く、毎夜犬の身体を指のアンテナで探す。駆除の薬はあるができるだけ使わない。
美容室は月曜日がお休み。山口市ニュースタイルの糸賀社長と弟子でパッションを経営の中井さんたちが、3週連続で美祢の「よしの」うどんに足を運ばれたようだ。ひたすら「うどん」に精進される夫婦(めおと)うどんのファンになってくださった。
元気に7月をスタートした。

半年がおわる

3時に起きて、昨夜録画の高橋真梨子をみてから活動開始。5時半、薄暗いけれど軽四ダンプと小型ユンボにスコップを使い農園までの砂利道のくぼみを採石で埋めた。梅雨の長雨でくぼみに水がたまり、そこをタイヤが通過するとどんどん削られる。7時までに道は整った。
午後からは、使い放題に酷使した草刈機などの掃除と点検。いつでもフル稼働できるよう燃料を入れておいた。昨年末、凍結で事故をしてたいへんな1日を過ごした。その教訓は、何事もない1日こそがありがたい。
ウキウキするようなこと。大儲けもなく半年を無事におえた。母も寝たきりにならずに会話も出来ている。感謝で半年をおえた。

今夜は熟睡

草刈りは1ヶ月サイクルでよいが、今回は長雨のため20日でかなり雑草が成長した。
3時に起きてゴソゴソ動き始め、4時すぎに作業服でおりた。まだ外は暗い。犬の世話をしているとぼんやり見えるようになったのが5時前。正式名称「ハンマーナイフ」ゴムのキャタピラーで動き、前に鋼鉄の刃がたくさんあり、回転して草を刈る強力な草刈気機。エンジンを始動させて草むらを進んだ。わたしは操作をしながら歩く。90分でかなりきれいになった。完全に草刈りするまでは機械の掃除はおいておく。
朝食をすませ金曜日のスタート。いつもの山道ウォーキングを40分。
周南市を走り終えて、農園にもどり、あめ玉を3つ口にほうり込んでまた草刈り。2時間やって体力の限界でやめた。
明日は萩からもどり半日草刈りをやる。
草刈りは、便器磨きと同じで、やり終えてきれいな面積をみる楽しみと達成感がある。

参議院選挙に思う

はぁ、家に帰る道を忘れたからここにおる。
母が家内につぶやいたと聞いた。あれだけ帰りたかった家の母の部屋を思い出すことができなくなった。いま関心があるのは食べることだけになった。
参議院選挙が動きはじめた。自民党・共産党に幸福実現党がたつらしい。民主党は候補擁立ができなかった。わたしは勝ち負けより、政党の主張をすることが大切と思う。そして有権者に選択肢をひろげることだと思う「再び地域から」と民主党の看板がさびしく立っている。盛り上がらない選挙になろう。
1月末から使いはじめた配達の軽四が28000キロ走った。下関トヨタでオイル交換をおえた。

沖縄がわからない

23日が沖縄戦終結とされている。朝の番組「視点論点」に元沖縄県知事 大田昌秀氏が出て10分語ったが、わたしには理解が出来なかった。
沖縄が琉球の時代、薩摩に侵略されて以後、大和(日本)の捨て石にいつの時代もなった。特にサンフランシスコ講和の昭和26年、沖縄だけがアメリカ統治として残された。大田実海軍中将が6月23日、行方不明の沖縄県知事にかわり「沖縄県民かく戦えり」の大本営への打電を最後に自決された。沖縄県民へ格段の高配を願う電文は知られている。それをも引用し、沖縄はまったく冷遇され続けている。だから日本から独立も視野に入れながら。といつもの持論を展開した。
本土復帰直後、わたしは戦没者遺骨収集奉仕で沖縄に通った。沖縄タイムズ社発行の「鉄の暴風雨」という沖縄戦の写真集が空港や土産物売場に必ずあった。沖縄の敵は米軍より日本軍という意図で本は構成されていた。日本兵に強要され集団自決に追いやられた。日本軍が住民の食料を奪った。そういう記述だった。
復帰した沖縄は酒・タバコに米をはじめたくさんのものを対象に優遇税制があり、沖縄全土が免税店状態で住民が喜んでいたのは日本政府の格段の配慮でしかない。
収集した遺骨を沖縄タイムズや琉球新報は「過去に収集した遺骨の残りを集めている」と報じた記事に驚いた。それは、復帰前に厚生省から多額の予算が遺骨の収集に沖縄に投じられ「終わった」という沖縄からのシナリオがあるから、その予算は目的どおりにつかわれたのか?まだ完全な一体のご遺骨がたくさん出ては面目がたたないやからがマスコミを操っていると感じた。
サイパンやテニアンなど多くの島で日本人が自決をされた。広島や長崎をはじめ全国が無差別爆撃を受けた。戦争は二度とあってはならない。
しかし、ことさら沖縄戦を挙げて、独立まで言及することに唖然とした。
いつも沖縄が見えにくい。

宇部市長選おわり

市長選挙の開票結果が気になり、昨夜は11時まで起きていた。わたしが一票を投じた候補が当選されたので安心して眠りについた。
月曜日を走り終えて4時に農園に戻った。シャワーでさっぱりして冷たいビールの誘惑を経ちきり、草刈りを1時間やった。刈り終えた面積を見たら「やってよかった」と満足感がある。迷ったら楽でないほうをやれば間違いない。

ゆっくり日曜日

盆・正月も休まず働いてきた。先月から、月に一回夫婦で休む日曜日をつくった。ふたり分の仕事をカバーすることで仕事の改善を計り、ゆくゆくはふたりが辞めても支障のない農園経営を正志が考える手始めとしてが目的。
家内がカボチャなどで母の朝食を用意して、8時に母の部屋についた。食堂はキャンセルして部屋食をゆっくり楽しんでもらった。
山口市内の配達を一件済ませて萩市シーマートに魚を買いに行った。大きなアイナメと釣りの大型アジなどを、今夜の刺身に買い求めた。
「旧田中別邸(田中義一)」を訪ねた。日露戦争に従軍し、昭和2年に総理大臣に就任された萩の英雄と承知している。広い屋敷を地域ボランティアのおばちゃんが懇切丁寧に案内してくれた。地域の誇りを伝えたい気持ちがよくわかり頭が下がる。100円の料金でしっかり案内してくれて、庭でとれた甘夏をくださった。萩の観光で丁寧にガイドしてくれるところはここだろう。
三見道の駅に立ち寄り野菜の買い物。
お昼は青海島の民宿まで足をのばして、サザエ、アワビにイカを安く食べることができ、生ビール2杯呑んだ。湯本の西京で風呂に入り日曜日が終わった。帰りに美祢市「よしの」に立ち寄りお茶をいただいた。

雨がやんだら

久しぶりのお日さま。来週はふたたび雨の日が多くなる予報。
早朝からお昼までの配達をしながら、午後から寝ようか、それとも働こうかと迷った。
結局、この雨でどんどん伸びて気になる雑草に草刈機をかついで向き合うことにした。
県道から農園に向かう山の斜面沿いの道に竹や雑草が倒れて道幅を狭くしている。
川の堤防下から色々な雑木が成長して、堤防の高さに達している。それにツタが巻きついて堤防に伸びてきた。草刈機に鋼鉄チップの刃をつけて、竹も木もバリバリ倒した。約2時間半できれいになった。とにかくむし暑く相当汗をかいた。
昼寝をしなくてよかった。

言葉で伝える

新規のお宅をさがして行く最初は時間がかかる。パソコンやナビ情報はあてにならないケースがある。電話で場所を聞く力が試される。電話で家の特徴。なければ近所の特徴ある家。車の車種や色などが聞き出せたら早い。現場では宅配さんか郵便配達職員か水道など検針業務の人がいたら早い。
農園をさがして来る人から「迷っています」と電話を受けたら「何が見えますか?」と尋ねると場所が特定できる。しかし、夜に迷った人に「何が見えますか」と尋ねたとき「えーっと、星が見えます」の返事には教えようがなかった。
3日連続の雨。洪水警報の下松市から新南陽市を走り終えてもどった。
今朝はJR湯田駅の近くに新規の配達をした「トヨタのエスティマがあります」で一発でわかった。

金魚の飼いかた

今村さんのお宅には川や池の生き物が飼育されている。部屋や屋外いろいろの水槽などがあり見せていただいた。驚いたことは水がとてもきれい。酸素のポンプや浄化設備はない。糞とコケに悩まされるがここは放置したまま。そのメカニズムは園芸用の「赤玉土(中)」を水草が植えられるほどの高さで敷き詰める。水草を数本植えて巻き貝(小型のタニシ)を入れる。手に入ればエビも。これで自然環境が完成し、糞もコケも酸素も大丈夫。わたしの推理では赤玉土の細かい穴にバクテリアが住み着いていると思う。
木曜日の彦島、Yさんのお宅も人工的なことはやらないでも、メダカが瓶のなかで繁殖している。蒸発した水を補うだけらしい。
2日続きの雨。ゴウゴウと音をたてる川に囲まれた農園に250キロを10時間で走り終えてもどった。