日別アーカイブ: 2016年5月6日

自分史2

2年前入力

28歳で、株式会社ぎじろくセンターを創業した。
会社は自宅(下萩原)の庭に建てたスズキハウスの勉強部屋(50万円)。社員は家内と数人の在宅で録音テープを文字にする主婦。資本金は50万円。市町村議会会議録調製を目的とした。
当時の議会会議録は、議事を録音(主に7号オープンリール・カセットテープはまだ普及中)それを議会事務局職員が聞き取りボールペンで清書していた。しかし年4回の定例議会と随時の臨時議会とあわせ録音時間数が多く苦労されていた。それを仕事として請け負う会社を起業した。
当時は国・県、それに一部市議会では速記者が臨席して音声を符号化し、その後文字にする反訳という形態があり、録音テープから文字を起こすという仕事は全国でも少なかった。

初の契約は秋穂町(現在は山口市)議会。1時間あたり2万4千円が契約単価。在宅のかたは四六時中オープンデッキを止めては書き、少し戻しては書くことに集中した。
下書き原稿が完成したら事務局に校正に出す。職員が聴取不能や地名に人名、行政用語や略語など、わたしどもには不明な点を朱筆で補う。

それを持ち帰り、指定の罫紙にカーボンを敷きボールペンで複写浄書は家内がする。
書き間違いは必ずある。その場合「一字抹消二字挿入」などと余白に訂正を書き、足立の印を押印した。文字の削除や挿入に苦労をした。

30歳のころ、日本語ワードプロセッサという文字の削除や挿入ができる夢のようなOA器機が出現した。
国産初は東芝JW10。価格は650万円。博多の東芝ショールームに見に行った。これは会議録作成に頼もしい道具と思ったが高額で買えない。しかしワードプロセッサがあれば会議録作成は楽になる。いつかは欲しいと思った。

約半年あと、移動中の新幹線で読んでいた雑誌に、富士通が初のワードプロセッサを発売したという記事と資料要請ハガキがあった。必要事項を記入して投函した。

しばらく経って富士通ワープロの営業に大男(もと東洋大学ラグビー部)が軽四に乗ってきた。その後に、わたしの人生におおきな影響をあたえた上田不二男さんが登場した。
当時、宇部市が住民基本台帳や税業務などを委託していた宇部電子計算センターの営業をされていた。計算センターの大型コンピューターが富士通というだけでワープロの知識は詳しくなく「一緒に勉強しましょう」と言われ驚いた。
初代富士通ワードプロセッサ名称は「オアシス100」金額320万円。8インチフロッピーの容量は1メガバイト。16ドットプリンター。おそらく山口県で最初のオアシスユーザーに私はなった。
ワープロ文字だけでも話題になる時期に、ワープロで会議録を作成する会社として各地の議会から注目され契約自治体の数は増えはじめた。自宅を増築して仕事場を広くしたが手狭になり、家賃15万円で琴崎八幡宮そばの軽量鉄骨二階に本拠を移した。

下松市議会に早稲田式速記を習得された優秀な職員、中野さんがおられた。表記の不統一をいつも厳しく指摘された。指摘しても業者をかえようとはされず、わたしどもの会社を育てようとされた。
発言で「きょう」は平仮名。「こんにち」は「今日」と漢字で表記。昆虫や草花はカタカナ表記。そのよりどころは岩波でも三省堂の辞書ではなく、衆参の速記者がよりどころにする日本速記協会発行「標準用字例」に準拠すればよいことを学んだ。
さらに上田部長は和歌山県議会の会議録作成でカセットテープを足で操作し、ヘッドフォンで聞けるレコーダーがあると情報をくださり、調べたあげくパイオニアアンサホンの「ディクターゴーダー」に行き着いた。
足で再生デッキを操作し、両手はキーボードを打てる。会議録業界で先端を走る会社になった。

入力速度・技巧・正確性を競うワープロコンテスト九州大会と中国大会でわが社は優勝した。

録音状態が悪いが、議場設備改修には費用がかかり不鮮明な録音の議会が多く、会議録作成の効率と正確性に影響をした。
議場設備専門会社「株式会社ステップ」を起業し中国・九州一円の議場設備を手がけた。
わたしも議場工事に行き、屋根裏や床下にもぐり配線もやった。

印刷を外部委託から社内印刷体制に整えたのは、社屋を西岐波に建設し、作業スペースができたから踏み切れた。
入力と印刷が自社で可能となり、出版を目的に岡山県金光町(金光教霊地)に「金光出版」を旗揚げした。
全国各地から参拝される教師や信徒のみなさんに、痒いところに手の届くような(教内用語など)気配りで業績をあげた。
わたしは、参拝者が多い金曜日から日曜日を金光で過ごすことが多くなりった。

48歳で会社を辞めた。当時、約200以上の議会と契約。経営はよい会社でバトンを譲れた。

後任社長は白井さん。出版部門は高山さんが引き受けてくれた。
白井社長は、その後行政効率をもとめて全国で市町村合併がひろがり苦難の経営をされたと思う。
高山さんは、ご縁があり金光教今市教会(出雲市)に婿養子。
私たち3人は、それぞれの道を力強く歩んでいる。