日別アーカイブ: 2016年5月15日

自分史 11

高校生のころ、言葉につまることがあった。特に「た行」と「か行」が言葉の先頭につくと、言葉がつまり発声できないことが多かった。
その場合はちがう言葉を探していた。一度つまずくと焦り、よけいに言葉が出なくなった。

吃音がなによりわたしの最大の悩みになった。特に電話のときはつまるばかりで、電話恐怖症だった。
一番恥ずかしい思いをした場面は、家内の母親のご葬儀。地域の方がお手伝いしてくださり自宅で葬儀がつかえられた。親族が火葬場に向かうとき、家内の姉の主人から「残ってお手伝いのみなさんにお礼の挨拶を頼みます」と唐突に言われた。
嫌です、できません。それは言えない場面になった。火葬場に車が出たあとわたしの出番になった。
お礼の挨拶は頭のなかにはあるけれど最初の一言が出ない。沈黙の時間は長く感じた。わたしのようすを見かねた方がわたしを座らせ代弁され座は終わった。まるで尾を下げた犬の心境で、早くこの場から逃げたいと思った。
ある方の出版をお手伝いして、別府温泉で出版記念会が催され出席した。長崎市の方ともやり取りが進んでいた。電話が苦手だから家内に長崎市から電話があったときの対応を頼んでいた。
その夜、長崎市の方から別府の宿のわたしにお叱りの厳しい電話があった。要は、わたしは重要なことを伝える手段はいつも家内であり、それは間違っている。ズバリと指摘された。反論の余地はない。
よし!と腹を決めた。携帯電話(日本セルラー社・電池パックはMとLを使い分ける大型)を買った。苦手な電話から逃げない背水の覚悟。
それから徐々に吃音が消えていった。いまでも、たまにつまるときはあるが。